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 今回は松尾芭蕉と名古屋についてです。芭蕉は伊賀国(三重県)の出身で、本名は宗房。豪農の二男でした。19歳の時俳諧に出会い、29歳の時俳諧で身を立てる事を夢見て江戸に移り住みました。35歳で俳諧の師匠となり、隅田川沿いの深川に芭蕉庵を建て、文芸家としての素養を磨きました。

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<芭蕉像:上野市駅前(伊賀市)>

 転機となったのは1684年41歳の時に出発した「野ざらし紀行」という旅でした。江戸から東海道を下り、伊賀に立ち寄った後、復路は中山道、甲州街道を経由して江戸へ戻る8ヶ月2000kmもの大旅行でした。各地で多くの俳人から歓迎され、特に名古屋を訪れた際には、地元の門人5人と句会を行いこれを「冬の日」と言う連句集にまとめました。

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<蕉風発祥の地碑:名古屋市中区(テレビ塔横)>

 冬の日は、芭蕉の代表的な俳諧七部集の第1集で、それまで言葉遊戯でしかなかった俳諧を初めて芸術の域に高めたと言われており、芭蕉の俳諧スタイル・蕉風開眼の書と評されました。またこの句会を行った場所は「蕉風の発祥地」と呼ばれるようになりました。蕉風発祥の地は名古屋テレビ塔の足元付近で、現在表札とモニュメントが建っています。

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<蕉風発祥の地碑に刻まれた連句>

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<蕉風発祥の地に建てられた標札>

 以後芭蕉は旅の折々に名古屋を訪れ、尾張の俳人たちと交流を重ねました。

# by haru_tsuji | 2024-10-05 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

 9月22日から徳川美術館で源氏物語展始まりました。徳川美術館は徳川家康の遺品や尾張徳川家の大名道具など13,000点余りを所有している美術館で、世界的に有名な源氏物語絵巻を始め、国宝9件、重要文化財59件など多数の貴重な資料を所蔵しています。運営は財団法人 徳川黎明会が行っています。

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<徳川美術館>

 この美術館には9つの展示室があり、展示内容は逐次更新されます。第1から第6展示室がテーマ別の「名品コレクション展示室」で、第7から第9展示室が「本館展示室」です。今回は本館展示室で9月22日から11月4日までの予定で、「みやびの世界 魅惑の源氏物語」と言う企画展が始まりました。また名品コレクション展示室でも11月16日から11月24日の予定で「特別公開:源氏物語絵巻」が開かれる予定となっています。 

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<展示会の紹介パネル>

 源氏物語展のメイン展示は国宝の源氏物語物語絵巻です。紫式部の源氏物語を絵画化した現存する最古の物語絵巻です。源氏物語各帖の1〜3場面を絵画化し、その絵に対応する物語(詞書)を絵の前に入れ、書と絵を交互に繰り返す形式になっています。

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<源氏物語絵巻>

 源氏物語絵巻は本来源氏物語54帖全体について作られたと考えられていますが、現存するのは、徳川美術館所蔵の絵15面、詞書9面と、東京の五島美術館の絵4面、詞書9面のみで、ともに国宝に指定されています。

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<国宝源氏物語絵巻:蓬生>

 この企画展では、源氏物語絵巻現物の展示だけでなく、源氏物語の理解を深めるため、登場人物の紹介や物語の展開など初めての人でも分かりやすいようにパネルで説明されていました。 

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<源氏物語絵巻の特長、登場人物などの説明>

 また源氏物語は、1000年に渡り、その後の文学や美術工芸、能などの芸能などに対して大きな影響を与えました。企画展ではこうした源氏物語にまつわる文化史についても紹介されていました。

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<江戸時代のベストセラー 源氏物語のオマージュ本>


# by haru_tsuji | 2024-09-30 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

緑区民美術展

 9月19日〜21日の3日間緑区役所講堂で緑区民美術展が開かれました。毎年この時期に行われる恒例行事で、今回が62回目の開催となります。

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 この美術美術展は、高校生以上で、緑区に在住、在勤、在学している人ならだれでも参加できます。選考は、日本画、洋画、彫刻工芸、書、写真の5部門で、今回は合計127点の作品が出展されました。

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<洋画、写真、日本画の展示>

 展示会では、選考により優秀な作品に様々な賞が授与されます。優秀作品の内、市長賞および区長賞を獲得した作品は、11月19日〜24日(予定)に行われる名古屋市民美術展に出品されます。

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<書の展示>

 なお多くの方が受賞の対象となるようにするため、前回の緑区民美術展で市長賞または区長賞を受賞された方は、無鑑査出品者として扱い、過去に2回無鑑査出品をされた方は、賛助出品者として扱われます。

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<写真展示:手前の作品は市長賞を受賞>

 絵画、書、写真にはそれぞれ作品に大きさ制限がありますが、題材自由で大きさ制限もないのが、彫刻工芸部門です。一般に言われている彫刻とはまったく異なる自由な発想の工芸作品がたくさん出品されていてとても新鮮でした。

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<彫刻工芸の展示>

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<彫刻工芸:区長賞受賞作品>

# by haru_tsuji | 2024-09-25 06:00 | 緑区 | Comments(0)

 今回は熱田区にある高蔵遺跡です。西高蔵駅東の大津通り沿いにある高蔵公園を含む南北800m、東西500mの範囲に広がる大規模な遺跡で、弥生時代から古墳時代の複合遺跡として全国的にも知られています。

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<高蔵遺跡の概要>

この遺跡が発見されたのは明治40年で、名古屋市と熱田町の合併を期に大津通りの拡幅工事が行われた際、多くの土器が出土しました。これを知った教員鍵屋徳三郎氏が現地に赴き、土器や貝層を確認。約80日に渡って発掘調査を行いました。鍵屋は出土した場所や土器の詳細なスケッチなどをまとめ、後に考古学の研究誌に発表しました。

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<高蔵遺跡 標札>

 その後2018年まで80回程の調査が行われ、弥生時代から古墳時代の遺構や遺物が多数発見されましたが、その間宅地化が進んだため、現在では高蔵公園の遺跡跡などをを除き、往時の姿はほとんど残っていません。

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<重要文化財に指定されたパレススタイル土器>

 高蔵遺跡の代表的出土品には赤で彩り幾何学的な模様を施したパレススタイル(宮廷様式)と呼ばれる弥生土器があります。この土器は国の重要文化財に指定されていて、国立博物館に収蔵されています。また弥生時代の濠に囲まれた環濠集落が築かれていたことも発掘調査で判明しました。

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<環濠集落の跡>

 古墳時代の高蔵遺跡では5世紀から6世紀前半頃に多数方墳が築かれ、同じ頃には近くで断夫山古墳や白鳥古墳など大型古墳も築かれました。おそらく当時この地方には大豪族とその一族が住んでいて、これらの古墳に埋葬されたと考えられています。

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<高蔵古墳群と高蔵1号墳>

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<高蔵公園>

 また熱田区高蔵町の高座結御子神社と高蔵公園内に高蔵古墳群と呼ばれる7基の円墳跡があります。高蔵1号墳は昭和29年に名古屋大学による横穴式石室や多くの副葬品などが見つかりました。

# by haru_tsuji | 2024-09-20 06:00 | 熱田区・昭和区 | Comments(0)

 東山植物園内に武家屋敷門が建っています。この門はもともと地下鉄車道駅の西、東区筒井2丁目付近にあった尾張藩士兼松家の屋敷門で、昭和42年5月に名古屋市に寄付され、同年10月に東山植物園に移築、11月から一般公開されました。

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<武家屋敷門>

 この門は高さ4.7m、幅12.5m、奥行き3.7mで、建造は江戸末期と言われています。特長的なのは、扉の左右に長屋と呼ばれる部屋があることで、この部屋には警備担当者が駐在していました。部屋には出格子窓と武者窓があり、扉は二枚扉で、左側には脇入口があります。屋根は寄棟造の桟瓦葺の格調高い造りになっています。

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<出格子窓と武者窓>

 門を所有していた兼松家は中世から続く武家で、戦国時代には清洲に拠点を置く斯波家に仕えていました。兼松家で最も活躍したのが、兼松正吉(まさよし)で織田信長に仕え、本能寺の変後は、信長の子信雄、更に豊臣秀吉に仕えました。関ヶ原の戦いでは東軍として従軍し、その後は家康の四男で清洲城主松平忠吉に仕え、知行2600石を得ました。忠吉死後、家康の命により尾張藩初代藩主徳川義直に仕える事になり、尾張藩士となりました。

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<武家屋敷門の表札>

 兼松正吉の肖像画なと兼松家の家宝が現存していますが、寄贈されて現在は中村公園内にある名古屋市秀吉清正博物館で所蔵しているそうです。

# by haru_tsuji | 2024-09-15 06:00 | 千種区・名東区・守山区 | Comments(0)