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アンリ・デュナンとフローレンス・ナイチンゲール

 今回はアンリ・デュナンとフローレンス・ナイチンゲールについてです。デュナンは1825年スイスのジュネーブ生まれで、1859年北イタリアのソルフェリーノで起きた戦闘の際、放置された多くの負傷兵を救護しました。この体験をきっかけとして、戦時下で中立の立場での救護組織を各国で作ることを提唱し、これが発展して1863年赤十字が設立されました。後にこの貢献が認められ 1901年第1回ノーベル平和賞を受賞しました。

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<アンリ・デュナン像 (日本赤十字社愛知赤十字会館)>


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日本赤十字社愛知赤十字会館 (東区白壁)>

 一方ナイチンゲールはデュナンより5歳年上で、1820年イギリスで生まれました。1853年勃発したクリミア戦争では、看護婦団を率いてイギリス軍に従軍し、多くの負傷兵を救いました。戦時下で負傷兵を救護するという活動はデュナンと同じですが、政治的なアプローチは全く異なっていました。ナイチンゲールは戦時下での救護は国や軍が責任を負うべきだと考えたからです。そのため中立で民間組織である赤十字の活動に、ナイチンゲールは関わっていません。

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<ナイチンゲール像 (中村日赤病院)>

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<中村日赤病院(正式名:日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院)>

 しかしデュナンは彼女の活動を高く評価していました。当時看護婦は病人を世話する単なる召使いと見られていましたが、ナイチンゲールの戦場での徹底的な衛生改革により、死亡率は40%超から5%へと劇的に低減したのです。兵士の死亡原因は大半が傷ではなく感染症によるものでした。ナイチンゲールは帰国後も世界初の看護学校を設立し、看護を専門職として確立しました。また卓越した数学・統計学の才能もあり、データに基づく医療政策の提言にも大きく貢献しました。このため1858年には王立統計学会初の女性会員にも選ばれました。

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<フローレンス・ナイチンゲール像の説明板>

 こうしたナイチンゲールの功績を称えるため、1907年と1912年に開かれた赤十字国際会議では、各国赤十字からの寄付により「フローレンス・ナイチンゲール基金」が設立され、更に看護活動に顕著な功績があった人に贈られる「フローレンス・ナイチンゲール記章」の創設も決議されました。
 その後日本でも多くの人々がナイチンゲール記章を受章しましたが、中村日赤病院に建てられているナイチンゲール像は、1985年この病院の看護部長だった立松朠子(てるこ)さんがナイチンゲール記章受章した事を記念して建てられたものです。

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<立松朠子さん>

ちなみ二人とも5月生まれで、デュナンの誕生日5月8日は「世界赤十字デー」、ナイチンゲールの誕生日5月12日は厚生労働省が制定した「看護の日」になっており、様々な行事が行われています。


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by haru_tsuji | 2026-05-25 06:00 | その他 | Comments(0)