2026年 03月 20日
有松で歴史展示会 /棚橋家住宅
有松にある棚橋家住宅で「有松史料調査保存会発表会」と題した歴史展示会が開催されました。棚橋家住宅は有松を代表する絞商(大井桁屋)の建物でしたが、昭和8年(1933年)から棚橋医院として50年程使われ、現在はイベントなどに使用されています。有松に2軒ある国登録有形文化財のひとつです。


<有松史料調査保存会発表会>
この他展示会では、有松の古い写真や地図などが展示されていました。有松の街並みは昔とあまり変わっていませんが、名鉄有松駅から旧東海道へと続く坂道は区画整理で拡張され、景観は昔とかなり変わっています。この坂道は、かつて牛頭天王を祀る津島神宮(お天王さま)があったことから、「お天王坂」と呼ばれていました。
また浮世絵等で見る絞り業者の分布というパネルが展示されていました。明治以降絞商もいろいろ変わっていて現在の屋号と違いがあることが分かります。
また昭和時代有松絞りの商談に使った見本帳も展示されていました。
<有松絞り見本帳>
この展示会の特別企画として 映像上映会も開催されました。上映会は2本立てで、1本目が瀬戸市の映像作家 加藤雅巳氏が昭和10年に撮った有松の紹介動画で、世界に有松絞りの素晴らしさをPRするような内容でした。
2本目は棚橋家住宅に住んでいた棚橋恭子さんが語る戦時下の有松の話でした。有松には昭和初期まで医院がありませんでした。そこで名古屋医科大学(現在の名大医学部)から若手医師の棚橋隆三氏を招へいしました。龍三氏の長女が今回の語り手 棚橋恭子さんです。
恭子さんの話はとても生々しいものでした。昭和20年1月棚橋家の裏手にある防空壕近くに2発の爆弾が投下されました。恭子さんは避難して危うく難を逃れたそうですが、とても激しい爆風だったそうです。有松は戦災に遭わず昔の面影が残されていますが、同じ年にもう一度爆弾が投下されており、一つ間違っていたら有松も焼失していたかもしれなかったそうです。また戦時中は物資不足で、恭子さんのランドセルはダンボール製、薪が不足して有松天満社の森が禿山となり、祇園寺の釣鐘も供出されてしまったそうです。
かつて有松駅の近くには捕虜収容所がありました。棚橋医師はアメリカ人軍医と共に捕虜の治療を担当していましたが、戦時中医薬品が不足し、満足な治療が行えませんでした。戦後死亡した捕虜にお灸の治療をしたことが発覚し、虐待の罪で棚橋医師は戦犯として訴えられました。幸い同僚のアメリカ人軍医が裁判で証言し、お灸治療の正当性が認められ、投獄を免れたという事件もあったそうです。
今の有松の姿からは想像もつかない辛い歴史が有松にもあったことが今回の展示会で良く分かりました。
by haru_tsuji
| 2026-03-20 06:00
| 緑区
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