2026年 03月 10日
柴田勝家の生誕地/明徳寺
今回は戦国武将 柴田勝家の生誕地 明徳寺(みょうとくじ)です。地下鉄上社駅から1kmほど南の住宅街の中にあり、小高い丘の上に建つ真言宗高田派のお寺です。
階段を上っていくと山門があり、山門前左側に「柴田勝家出生地」という石碑と標札が建っており、右側には「下社城址」の石碑が建っています。
<柴田勝家出生地碑>
柴田勝家は若い頃信長の父織田信秀の家臣として仕え、尾張国愛知郡下社村の領主として下社城に居城していました。
織田信秀が亡くなった後、織田家は後継を巡り、信長派と弟の信勝(信行ともいう)派が激しく対立しました。柴田勝家は信長の重臣として良く知られていますが、当時は信勝派で、清須にいた信長と戦ったこともあります。(1556年 稲生の戦い)
この戦いで信勝派は敗れましたが、信長の母土田御前のとりなしで赦免され、以後信長に仕えるようになりました。その後信長の天下取りに力を尽くし、信長から越前(福井県)の統治を任されました。勝家は北ノ庄城(福井市)に移り、下社城は廃城となりました。
明徳寺は明徳2年(1392)創建の古いお寺ですが、江戸時代の1662年に現在の場所に移転されたと伝えられています。また本堂は幕末の1860年頃建立されました。
by haru_tsuji
| 2026-03-10 06:00
| 千種区・名東区・守山区
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