2026年 02月 25日
ゴッホ展/愛知県美術館
愛知県美術館で「ゴッホ展」が開かれています。フィンセント・ファン・ゴッホは1853年オランダ生まれで、37歳という若さで亡くなるまで約2000点の絵を描きましたが、生きている間はあまり知られていなかったそうです。フィンセントが亡くなった後、その作品を守り、世界中に彼の作品を広めたのが彼の家族たちでした。今回の展示会は、そういった家族にも焦点を当てていて、「家族がつないだ画家の夢」というサブタイトルが付けられています。
弟のテオは画商で、フィンセントが生きている間、精神的な病を患ったフィンセントをお金と気持ちの面で支えました。またテオの妻ヨーは、夫の死後フィンセントとテオな間の書簡集をまとめ、フィンセント回顧展を開催して、知名度向上に貢献しました。
またテオとヨーの息子 フィンセント・ウィレムは、叔父の作品を残していくため「フィンセント・ファン・ゴッホ財団」を作り、ファン・ゴッホ美術館(オランダ アムステルダム)開館に尽力しました。こうした家族の活動についても、展示会では映像で紹介していました。
展示会場では彼の作品を年代順に展示するとともに、彼の生涯をたどりながら、作風の変化などが紹介されていました。彼の画家としてのキャリアは27歳の時で、オランダから始まりました。この当時は貧しい農民や労働者を描いたものが多く 絵の色調も暗いものが多かったようです。
1886年パリに移り住みます。印象派や新印象派の画家と行動 交流を持つようになり その影響で明るい色調の絵を書くようになりました。
1888年南フランスのアルルに移り住み、ゴーギャンと共同生活を始めました。南フランスの 眩い光と色彩を体感し、鮮やかな色使いや力強い筆使いの作風となりました。
1889年心の病のため、アルルの東にあるサンレミ の療養院に入院しました。入院生活は1年間に及びましたが、ここでも絵を描き続けました。1890年5月 パリ郊外のオーベルシェルオワーズへ移りますが、 7月心の病により銃で自殺してしまいました。
今回の展示会では、絵画の紹介だけでなく、彼が書いた手紙なども展示されていました。また来場者がゴッホの作品を体感できるイマーシブ(没入)コーナー(14mのスクリーンにゴッホ作品を題材にした映像が上映されるコーナー)が作られていました。なお館内ではイマーシブコーナーのみ撮影可でした。
またゴッホ作品のアルゴグラフ(絵具の厚さなども再現した立体複製画)の販売コーナーや、ゴッホ関連のグッズ販売コーナーなども設置されていました。
ゴッホ展は3月23日まで開催されています。
by haru_tsuji
| 2026-02-25 06:00
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