人気ブログランキング | 話題のタグを見る

富部神社と戸部ガエル

 南区の富部神社は江戸時代初期の慶長年間に、清洲城主で徳川家康の四男松平忠吉により創建された由緒ある神社です。本殿は、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根など桃山時代の建築様式を伝えるものとして 国指定の重要文化財に指定されています。(但し現在本殿は改修中ですが…)また祭文殿や回廊、境内の山車蔵に保管されている高砂山車も名古屋市文化財に指定されています。訪問した日(8月30日)は参道夜市というイベントも行われていて、境内は大変賑わっていました。

富部神社と戸部ガエル_a0362603_22050464.jpg
<富部神社>

 富部神社のシンボルが「カエル」です。カエルの置物に入った「カエルみくじ」が有名で、緑の「無事カエル」、ピンクの「ご縁カエル」、黄色の「福カエル」など色合いもカラフルです。絵馬もカエル型で、境内のあちこちにはカエルの置物なども置かれています。

富部神社と戸部ガエル_a0362603_22021468.jpg
<カエルみくじ>

富部神社と戸部ガエル_a0362603_22030087.jpg
<カエル型絵馬>

 昔からこの地域には「戸部ガエル」という伝説がありました。桶狭間の戦いの少し前、富部神社の南に戸部城というお城がありました。戸部城の城主が 戸部新左衛門直政という戦国武将で、今川義元の娘婿でした。 気性が荒く、自分の前を横切ったものを切り捨てるなど周りに大変恐れられた武将でしたが、飛び跳ねて逃げるカエルは切ることができなかったという事から、命拾いして無事に帰ることができるという意味合いから戸部ガエルが有名となりました。下記が富部神社の境内に掲げられている戸部ガエルと戸部新左衛門についての説明板です。

富部神社と戸部ガエル_a0362603_22011677.jpg


 戸部新左衛門は、今川方の武将でしたが、織田信長の策略にはまり、織田家へ内通したと今川義元に疑われ、桶狭間の戦いの3年前に切腹させられ、戸部城は廃城になってしまいました。時は流れ、明治時代に戸部氏の子孫らによって戸部城跡の碑や戸部新左衛門の碑が建てられましたが、平成28年富部神社に移築されました。現在富部神社にはこの2つの石碑の他、元名古屋市長の小林橘川(こばやしきっせん)の「ほととぎす 泣いてすぐるや 戸部の城」という句碑も建てられています。

富部神社と戸部ガエル_a0362603_21594100.jpg
<左から「戸部城跡の碑」「戸部新左衛門の碑、小林橘川の句碑>

 戸部ガエルは富部神社だけでなく、広くこの地域全体にも伝えられていて、笠寺観音近くのマックスバリュー前にも下記石碑が建てられています。この石碑には、江戸時代後期の文化・文政の頃、笠寺の瓦職人が、伝説の戸部ガエルを陶器で作り、節分で賑わう笠寺観音境内の露店で郷土玩具として販売したものが評判になり、この地方の名産品になったと書かれています。

富部神社と戸部ガエル_a0362603_21433737.jpg
<戸部ガエルの碑>

名前
URL
削除用パスワード
by haru_tsuji | 2025-09-05 06:00 | 南区・天白区・瑞穂区 | Comments(0)