人気ブログランキング | 話題のタグを見る

名古屋電灯と福沢桃介

 先月 中部電力のルーツとなる 名古屋電灯株式会社の設立の経緯について紹介しました。今回はその続編です。 福沢桃介は福沢諭吉の娘婿で、日露戦争後の株式相場で財をなし、その後実業家に転身し、紡績 肥料 ビール 鉱山 農場などの事業に参画しました。多くの事業は 短期間で撤退しましたが、本業として 本腰を入れたのが電力事業でした。

名古屋電灯と福沢桃介_a0362603_19314850.jpg
<福沢桃介>

 電力事業はこの当時大きな過渡期を迎えていました。名古屋電灯発足当時は、発電機さえ手に入れば手軽に電力事業が始める事ができる火力発電が主流でしたが、電力事業者が全国に乱立するようになると、安いランニングコストで大規模なエリアへの電力供給が可能な水力発電所の建設が各地で進められるようになりました。名古屋電灯でも長良川水系での水力発電所建設が進められ、1910年長良川発電所が運転を開始し、鶴舞公園で開かれた 第10回関西保険連合共進会でのイルミネーションに早速使われました。

名古屋電灯と福沢桃介_a0362603_19332556.jpg
<第10回関西保険連合共進会でのイルミネーション>

 福沢桃介はまず九州佐賀県の電力会社 広滝水力電気の大株主になったのを皮切りに、豊橋電気に出資して社長に就任。1910年には 名古屋電灯の筆頭株主になり、 業務取締役に選任されました。常務は在任5ヶ月で一旦辞任しましたが、その後経営悪化に伴い、経営手腕を買われ 1913年常務に再登板し、1914年には社長に就任しました。名古屋電灯に入った桃介が主として 手掛けた事業は木曽川の電源開発で、下記のようにたくさんの水力発電所の開発を進めました。

名古屋電灯と福沢桃介_a0362603_19411806.jpg
<福沢桃介が開発にかかわった水力発電所>

 名古屋電灯は1920年以降 周辺事業者との合併を活発化し、1921年 奈良県の関西水力発電所と合併して 関西電力となり、翌年 九州電灯と合併して 中京・関西・九州にまたがる 電力会社東邦電力へと発展しました。また東邦電力となる前の1918年 名古屋電灯は水力発電部門を独立させ、木曽電気製鉄を設立しました。この会社は1921年大同電力へと発展しました。東邦電力と大同電力はそれぞれ日本5大電力の一つとなる程の大きな会社となり、福沢桃介は「電力王」と呼ばれるようになりました。

名古屋電灯と福沢桃介_a0362603_19434896.jpg


 名古屋の東区にある「文化の道二葉館」は、福沢桃介ゆかりの地で、親しくなった女優川上貞奴と一緒に暮らした家です。元々は現在の場所に程近い東二葉町に建てられていましたが、現在の場所に移築・復元されました。和洋折衷の豪華なつくりで、建てられた当時は二葉御殿と呼ばれ、名古屋電灯に関係する要人たちが頻繁に訪れていたようです。

名古屋電灯と福沢桃介_a0362603_10224476.jpg
<二葉館>

※資料写真はでんきの文化館展示資料より


名前
URL
削除用パスワード
by haru_tsuji | 2025-01-25 06:00 | 名古屋市内(その他) | Comments(0)