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名古屋の電力事業発祥の地/電気文化会館

 地下鉄丸ノ内駅の近くにある電気文化会館は中部電力のルーツとなる 名古屋電灯発祥の地です。電気文化会館内にでんきの科学館がありますが、科学館の一角に 歴史コーナーが作られていて、当時の写真や資料が展示されています。

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<電気文化会館>

 名古屋電灯の起源は明治維新まで遡ります。廃藩置県により 藩がなくなり 武士たちは明治新政府の管理下に移りました。明治9年(1876年)に秩禄処分 という政策が行われ、旧士族の給与は全廃となりました。 経過措置として公債は支給されたものの、旧武士たちには新たな収入源の確保が求められるようになりました。

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<でんきの科学館のクイズ>

 明治17年(1884年)旧尾張藩士たちの交渉により愛知県の士族に対し、起業のための資金10万円の貸付が決まりました。尾張藩士たちは使い方を検討した結果、新興事業である電灯事業を起業することを決定しました。


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<名古屋電灯の発電所>
 
 明治22年(1889年)日本で5番目の電灯会社として名古屋電灯が誕生しました。工場は現在 電気文化館が建っている場所で、建坪は80.5坪。平屋でレンガ作りの工場でした。発電は石炭火力発電で、工場には23.8mの煙突がありました。


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<丹羽正道と名古屋電灯本社正門>

 名古屋電灯の技術を牽引したのが丹羽正道です。帝国大学を卒業した若手技術者で、名古屋で初めて電灯の点灯試験を行いました。また名古屋電灯では主任技術者を務めました。当時のエジソン社製発電機は著しく高価だったため 正道は叔父の丹羽精五郎とともに アメリカに渡り、エジソンと直接交渉し、エジソンからドイツのエジソン社を紹介され 同社から低価格で発電機を購入することに成功しました。

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<水主町発電所>

 明治24年(1891年)の濃尾地震、明治27年(1894年)の日清戦争後電灯需要は大幅に増加し、名古屋電灯の供給エリアは拡大しました。当初発電方式は直流方式でしたが、直流方式は遠距離伝送が困難で200㎾以上の大容量発電ができませんでした。このため明治37年堀川沿いの水主町(現在の中村区名駅3丁目・現在中部電力パワーグリッド㈱水主町変電所がある。)に交流発電所を建設し、本社もここへ移しました。

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by haru_tsuji | 2024-12-15 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)