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中部で唯一!鹿鳴館の雰囲気を伝える文化財/六華苑(旧諸戸清六邸)

 今回紹介するのは、桑名市にある六華苑です。文明開化の時代を象徴する西洋建築「鹿鳴館」を設計したことで知られるイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが設計した建物で、国の重要文化財に指定されています。

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<六華苑>

 まずジョサイア・コンドルについて説明しておきます。ジョサイア・コンドルは、イギリスの建築家で明治新政府から招へいされ来日しました。工部大学(現東京大学工学部)の教授となり、建築学を教え、東京駅を設計した辰野金吾などを育て、日本建築界に大きな影響を与えました。コンドルは鹿鳴館など数々の歴史的西洋建築を設計しましたが、関東大震災や第二次世界大戦などで多くは消滅しており、現存するのは東京千代田区のニコライ堂など8件だけになっています。しかも大半は東京や神奈川などにあり、地方で唯一現存するのは桑名市にある六華苑のみとなっています。

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<コンドルと鹿鳴館>

 六華苑は桑名市が管理する施設で、平成5年公募により「六華苑」という名称で一般公開されました。この施設は元々桑名の実業家二代目諸戸清六の私邸でしたが、清六の死後、諸戸家が別宅に移ったため、桑名市が土地を取得し、寄贈された建物も桑名市が整備を行うことになりました。

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<初代 諸戸清六>

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<二代目 諸戸清六>

 諸戸家は日本一の山林王と呼ばれる一族ですが、その基礎を作ったのは初代諸戸清六で、父親の残した借金返済から始まり、米相場や土地売買などで大儲けし、日本有数の資産家となりました。初代清六死後諸戸家は二つに分れ、家屋敷は次男精太が相続し、早稲田の学生だった四男清吾が呼び戻され、18歳で二代目諸戸清六を襲名して家業を継ぎました。二代目清六が結婚後建てた新居が現在の六華苑で、大学を退官し民間で建築事務所を開設していた建築界の重鎮ジョサイア・コンドルに設計を依頼しました。

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<4階建ての塔屋>

 コンドルが設計した洋館は広々とした庭園を屋内から見渡せるベランダや各部屋に暖炉を配置するなど細かな配慮がなされた造りになっています。また4階建ての塔のようなデザインの部屋が印象的ですが、この部屋には当時としては珍しい曲面ガラスが使われています。

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<屋内から庭を見渡せるベランダ>

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<曲面ガラスが使われている塔のような部屋>

 六華苑はコンドルが設計した洋館を中心とし、和館も併設されています。明治時代の洋館にはこのような和洋折衷の様式が多かったようです。また洋館・和館の南側には池泉回遊式の庭園が作られています。築造当初の形態を良く保っているといわれており、国の名勝にも指定されています。

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by haru_tsuji | 2024-06-05 06:00 | 県外(中部) | Comments(0)