人気ブログランキング | 話題のタグを見る

名古屋城はなぜ、どのように燃えたのか?/戦争に関する資料館

 中区にある戦争に関する資料館で現在「名古屋城はなぜ、どのように故燃えたのか?」という企画展が開かれています。

名古屋城はなぜ、どのように燃えたのか?/戦争に関する資料館_a0362603_09510120.jpg
<戦争に関する資料館>

 日本本土への空襲が始まったのは1942年からですが、1944年7月から8月にかけてサイパンやグアムが陥落し、アメリカ軍はこれらの地に大規模な空軍基地を建設しました。更に当時最大級の爆撃機B29を投入したことにより、日本全土が爆撃範囲に入ってしまいました。

名古屋城はなぜ、どのように燃えたのか?/戦争に関する資料館_a0362603_11212964.jpg
<企画展示>

 ゼロ戦など航空機産業の拠点だった名古屋市では1944年12月13日にエンジン工場だった三菱重工㈱名古屋発動機製作所(現在のバンテリンドーム付近にあった。)をターゲットとする最初の空襲が行われ、これ以降断続的にこの地域に対する空襲が行われました。当初空襲の目標は軍需産業に置かれていましたが、1945年になると市街地を標的にする空襲が行われるようになりました。特に3月11日の深夜から12日未明と19日の市街地に対する焼夷弾による攻撃と3月24日深夜から25日未明にかけての三菱重工㈱名古屋発電機製作所への空襲は大きな被害を出しました。

名古屋城はなぜ、どのように燃えたのか?/戦争に関する資料館_a0362603_10040803.jpg
<B29が投下した焼夷弾の模型>

 名古屋城が空襲で焼失したのは、1945年5月14日のことでした。下記図はアメリカ軍が作成した名古屋市街地の爆撃目標区域を示した図です。ゾーンⅠは名古屋の街の心臓部で、かつての城下町だった区域です。ゾーンⅡはゾーンⅠに次ぐ人口密度の区域です。アメリカ軍は人口密集地に焼夷弾を落とし、消火活動がお手上げになるくらいの火災を引き起こすことを狙いとしていました。

名古屋城はなぜ、どのように燃えたのか?/戦争に関する資料館_a0362603_09575709.jpg
<アメリカ軍の攻撃区域を描いたゾーンマップ>

 このゾーンマップで名古屋城は攻撃目標にはなっていません。名古屋城は周辺に建物が無い場所なので、名古屋城はアメリカ軍の攻撃対象ではなかったと考えられます。では何故名古屋城は焼けてしまったのでしょうか?アメリカ軍の記録によると5月14日の第1弾投下は8時5分で、名古屋城に火の手が上がったのは8時20分でした。つまり空襲のかなり早い段階で、天守閣の火災が始まりました。

名古屋城はなぜ、どのように燃えたのか?/戦争に関する資料館_a0362603_10410807.jpg
<炎上する名古屋城(千種公園にて)>

 攻撃対象になっていなかった名古屋城に焼夷弾が落とされたのは、日本軍の反撃が激しかったからだと考えられています。琵琶湖付近から名古屋上空に侵入したB29ですが、日本軍の反撃が予想外に激しかったため、アメリカ軍は目標地点よりもかなり手前から空襲を開始したのです。アメリカ軍の侵入ルートにあった名古屋城にも投弾が行われました。消火活動も行われましたが、本丸に続く門が焼け落ちて、消防車の到着が遅れたため、天守閣は1時間あまりで焼失してしまいました。

名古屋城はなぜ、どのように燃えたのか?/戦争に関する資料館_a0362603_10121343.jpg
<名古屋への空爆>

 その後も名古屋市への空爆は続き、1945年7月26日には模擬原爆(パンプキン爆弾)が八事日赤付近に投下され名古屋は壊滅状態になりました。

 なお戦争に関する資料館は、地下鉄名古屋城駅から南へ徒歩5分程。毎週月・火が休館日で、入館は無料です。また名古屋城焼失の企画展は3月10日までです。
 


名前
URL
削除用パスワード
by haru_tsuji | 2024-01-30 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)