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杉原千畝 人道の道

 杉原千畝は世界的に知られている日本の外交官で、第二次世界大戦でナチス・ドイツの迫害によりヨーロッパ各地から逃れてきたユダヤ系難民に対し、2000通を超える日本通過ビザを発給し、数千人の難民の命を救ったことで知られています。千畝は少年期の約10年間を名古屋で過ごしました。名古屋市ではその功績を湛え、当時の居住地付近から出身校である県立第五中学校(現在の瑞陵高等学校)までを結ぶ全長4.5kmの道を「杉原千畝人道の道」と命名しています。

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<杉原千畝 人道の道>

 人道の道は地下鉄東別院駅の少し南にある平和小学校横からスタートします。千畝は古渡尋常小学校(現在の平和小学校)に通い、自宅も学校近くにありました。千畝は大変な秀才で卒業後就職する生徒が多い中、第五中学校へ進学しました。 

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<小学校時代の千畝>

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<人道の道(スタート地点):道の左が平和小学校>

 人道の道沿いには何枚かのパネルが建てられていて、千畝にまつわるいろいろなエピソードが紹介されています。市民会館の前には千畝の父親について紹介したパネルが設置されています。千畝の父は税務署勤務で、千畝が小学校のころ三重県から名古屋に引っ越ししてきました。戦前千畝の父が勤めていた名古屋税務署は現在の市民会館の場所にあったようです。

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<千畝の父が勤めていた税務署>

 神宮東公園近くにもパネルが建てられています。この辺りには千畝が活躍した第二次世界大戦の頃、兵器を作っていた名古屋工廠熱田兵器製造所があり、当時の赤レンガ倉庫も残っています。また熱田兵器製造所から雁道商店街を通って第五中学校まで続く道は、当時走っていた路面電車の高蔵駅で降りた第五中学の生徒が通ったことから五中街道と呼ばれていました。

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<五中時代の杉原千畝(左)と熱田兵器製作所(右上)、赤レンガ倉庫(右下)>
 
 瑞陵高校の少し西にある瑞穂ヶ丘中学校の正門前にもパネルが建てられています。この場所には千畝がが通った第五中学校がありました。瑞穂ヶ丘中学にはシュロを植えた庭や車寄せのある玄関など、五中時代をしのぶ風景がまだ残っているそうです。また校内には2020年に杉原千畝16才の少年像も建てられました。

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<杉原千畝16才少年像(左)、第五中学校(右上)、杉原千畝五中時代の集合写真(右下)>

 人道の道のゴールは瑞陵高校正門前です。ここには「センポ・スギハラ・メモリアル」という杉原千畝の顕彰施設が建てられています。以前このブログで紹介したことがありますので、詳しくは下記リンクをご覧下さい。


 千畝のビザを手にした難民たちは、日本経由でアメリカやカナダなど第三国に渡りました。現在でも千畝に命を救われたユダヤ人の子孫が世界中で暮らしています。1985年イスラエルから千畝に「ヤド・バシュム賞(諸国民の中の正義の人賞)」が贈られました。この賞は命がけでイスラエル人を救った外国人に感謝を込めて贈られる最高の賞です。また2012年にはイスラエル大使館から瑞陵高校に平和の象徴としてオリーブの木が贈られました。

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by haru_tsuji | 2023-10-05 06:00 | 名古屋市内(その他) | Comments(0)