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秀吉の母は御器所出身!?

 今回は御器所にある「御所屋敷跡」についてです。閑静な住宅街の中にある小さな空き地ですが、秀吉の母大政所の在所だと伝わる場所で、小さな祠と「御所屋敷跡」と彫られた石柱があり、名古屋市教育委員会の「伝豊臣秀吉母宅跡」という標札も建っています。

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<御所屋敷跡(伝豊臣秀吉母宅跡)>

 標札には、以下のように書かれています。
「秀吉の母、大政所は従一位まで叙せられていながら、その素性がはっきりしない。いつごろから御器所の人だと言われ始めたのか分からないが、天野信景の随筆「塩尻」には「尾州愛知郡御器所村の人也」とある。またこの後天保年間(1830~44)尾張藩がまとめた「尾張史」には「この御器所村の古老伝説に、太閤秀吉の母堂はこの御器所屋敷に住んで秀吉を生み、そこで御器所屋敷というようになった。」とある。秀吉の母が持萩中納言の娘との伝説と、中納言の屋敷がここにあったとの伝説が結びついたものと言われている。」

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<標札:伝豊臣秀吉母宅跡>

 大政所は名を仲と言い、秀吉、姉の日秀(とも)、弟の秀長、妹の旭の4人の子供を産んでいます。夫に先立たれた後、秀吉に引き取られて暮らしていましたが、秀吉が関白になると、仲も従一位に叙され、北政所と呼ばれるようになりました。秀吉は天下統一を図るため、敵対していた徳川家康を臣従させるため、妹旭を正室として家康の元に送り、それでも上洛しない家康に業を煮やした秀吉は、母親の大政所まで人質として差し出しました。このあたりのやり取りが、大河ドラマ「どうする家康」で現在放映されていて、大政所役の高畑敦子さんも近々登場するようです。


 なお御所屋敷跡は地下鉄荒畑駅の南徒歩10分程です。

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by haru_tsuji | 2023-09-05 06:00 | 熱田区・昭和区 | Comments(0)