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広小路通りの意外な歴史

 広小路通は栄と名駅を結ぶ名古屋のメインストリートですが、この道ができたのは名古屋城築城の際行われた都市移転(清洲越し)の時で、碁盤割と言われる城下町の南端に位置に作られました。当時は堀切筋と呼ばれ、久屋町から長者町までの短い道路でした。

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<広小路>

 転機は1660年1月に発生した大火で、城下町の大半が焼失してしまいました。この大火は「万治の大火」と呼ばれ、以後名古屋では延焼対策のため堀切筋の町屋を取り払い、道幅を3間(5.4m)から15間(27.3m)に拡張。以後広小路と呼ばれるようになりました。道幅はこれ以降現在まで変わっていません。

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<万治の大火>

 下記図面は、堀切筋を拡張して広小路が出来た時のものです。この図面では広小路通りの中央部が青色に塗られていますがこれは運河で、左端に描かれている堀川と合流するよう計画されていましたが、実際に運河が作られることはありませんでした。

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<広小路拡張計画>

 明治になると、広小路通りの東端(南久屋町:現在の中区役所近く)に県庁と県議会議事堂が建てられました。下記写真はオアシス21にある歴史パネルの一部で、明治時代広小路通り沿いにあった県庁の場所と写真が描かれています。

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<明治時代の地図(左)と現在の地図(中央)★が当時の県庁、右写真は県庁と議事堂>

 また名古屋区長 吉田禄在が名古屋駅の誘致により、明治20年笹島に名古屋駅が開業しましたが、名古屋駅~栄間の道路整備も吉田禄在が行いました。当時広小路通りは納谷橋までで、笹島周辺は細い路地が入り組む田園地帯でした。財政事情が厳しかったため吉田禄在は募金活動を行い、名古屋駅開業に合わせて広小路通りを延伸しました。
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<吉田禄在>

 明治31年には笹島~愛知県庁前にはじめて市電も開業しました。また広小路本町角には中村呉服店(後のオリエンタル中村百貨店)が開業するなど広小路通りは名古屋のメインストリートとして賑わいました。

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<市電がはじめて走る>

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<中村呉服店>

 明治39年には日露戦争の凱旋兵を迎えるため広小路本町に凱旋門も作られ、広小路は名古屋のシャンゼリゼ通りのような位置づけとなりました。

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<広小路通りにあった凱旋門>

 名古屋の市街地は太平洋戦争の空襲により焼け野原にになりましたが、戦後復興により道路整備も進みました。広小路通りの東部地区への延伸も進み、現在では愛知県道60号線として、名古屋市街地と長久手市をつなぐ主要道路となっています。



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by haru_tsuji | 2023-02-20 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)