2022年 12月 15日
徳川家康は幼い頃名古屋に住んでいた!
来年の大河ドラマの主人公徳川家康(幼名:松平竹千代)は、幼少の頃今川氏の人質として駿府(今の静岡)に住んでいた事は良く知られていますが、実は今川の人質となる前織田氏の人質として2年ほど名古屋に暮らしていたことがあります。熱田区の羽城公園付近で、公園には「徳川家康幼時幽居地」の標札が建てられています。

<「徳川家康幼時幽居地」の標札(羽城公園・熱田区)>
岡崎城主として西三河を支配していた松平氏でしたが、竹千代の父・松平広忠の時代に親戚同士の争いで混乱し、これに乗じて織田信秀(信長の父)が三河に侵攻しました。広忠は今川義元に加勢を乞いましたが、義元から見返りに竹千代を人質として差し出すよう要求されました。1547年6歳の竹千代は岡崎から駿府へ出発しましたが、護送の途中立ち寄った田原城で、義母の父・戸田康光の裏切りにより、逆に尾張の織田信秀へと送られ織田氏の人質となってしまいました。
竹千代は、織田氏の家臣加藤図書助順盛の屋敷(名古屋市熱田区)や那古野城内天王坊に2年ほど幽閉されましたが、安祥城に侵攻し城主となっていた織田信広(信長の兄)が、再三に渡る今川勢との戦闘で逆に捕虜になってしまうという事件が起こり、竹千代と信広との人質交換が行われることになりました。こうして竹千代の名古屋生活は終わり、再び駿府へ送られることになりました。またこの事件をきっかけに三河における織田氏の求心力は大きく後退しました。この後織田信長が家督を相続。桶狭間の戦いへと続いていきます。
by haru_tsuji
| 2022-12-15 06:00
| 熱田区・昭和区
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