2022年 07月 10日
将軍家光も絶賛した御深井の庭とは?
名古屋城の入口、地下鉄市役所駅の構内に「名古屋城内郭絵図」と書かれた下記写真の絵図が飾られています。昔の名古屋城の様子を描いたものですが、現在の名古屋城の様子と大きく異なっている点があることにお気づきでしょうか?今と全く異なっている物、それは名古屋城の北側、今は名城公園になっている辺りに、広大な池があったことです。

<名城公園のおふけ池>
現在の名城公園には、かつての名残である「おふけ池」がわずかに残されています。かつては広大な池でしたが、名古屋が城下町として発展するにつれ、地下水をくみ上げることが多くなり、池の水位が徐々に低下していったためです。ちょうど今の季節には、おふけ池北側で紅白のハスの花が咲いているのが見られます。
この池の周辺は「御深井(おふけ)の庭」と呼ばれる日本屈指の庭園でした。もちろん一般人は立ちることはできないお殿様のための庭園で、初代尾張藩主徳川義直が三代将軍徳川家光が上洛した際に整備されたと言われています。後水尾天皇(上皇)が造営した修学院離宮と同様の大回遊式庭園で、公家文化を継承する格調高いものでした。
池の南側には弁天様を祭った島があり、周囲に紅白のハス池が広がっていました。また池の北東には瀬戸山と呼ばれる山を築き、瀬戸から集められた陶工が焼き物を作っていました。池の南北と東の岸3か所には御茶屋も造られました。茶屋といっても殿様のための接待所のような施設で、御殿のような豪華な造りだったようです。お城との連絡には船が使われ、二の丸西の空堀には船着場もありました。将軍家光は名古屋を訪れた際この庭園が大層お気に入りとなり、江戸にも御深井の庭を模して、吹上庭園を造らせました。これが現在皇居内にある吹上御苑の基になっています。

また名城公園の大津通り沿いに「御深井焼窯跡」と書かれた標札が建っています。尾張藩は領内の産業振興のため、ここで瀬戸から集めた陶工に焼き物を作らせ、これを御深井焼または御庭焼と呼んでいたことなどが書かれています。
by haru_tsuji
| 2022-07-10 06:00
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