2022年 05月 10日
熱田神宮の楊貴妃伝説
熱田神宮には、「こころの小径」と呼ばれる散策路があります。本殿の西側から神楽殿の東側まで神社の北側をめぐるコースで、樹木が多く静かな森の中を歩いているような趣があります。このコースは神社にとってとても神聖な場所で、撮影禁止エリアになっているため、残念ながら写真で紹介できませんが、古代から続く神社らしいパワースポットです。
こころの小径の途中にあるのが、清水社という末社で、かたわらにある湧き水の水面からちょこんと小岩が突き出ています。これに三度水をかけると願いが叶うといわれています。説明板にはこの岩が、かつてこの地にあった「楊貴妃の石塔」の一部との説があると書かれています。
熱田神宮の参道には、熱田神宮の歴史を紹介したパネルがずらりと並んでいますが、その中に「鳳来伝説」と書かれた下記のようなパネルがあります。鳳来伝説は後で説明しますが、パネルには楊貴妃の姿が描かれています。
パネルの絵は江戸時代に描かれた「尾張名所図会」からの引用されたものです。この古文書では熱田神宮について神事や祭りなどが絵付きで事細かく紹介されていますが、「楊貴妃の故事」という項目があり、その中でこの絵が描かれています。絵だけでなく説明文もあって、清水社にあった楊貴妃石塔が貞享3年(1686年)の造営の際に廃絶されたことなども書かれています。
熱田神宮の楊貴妃伝説は次のようなものです。8世紀中国で唐が栄えていた時代、皇帝だった玄宗は日本侵攻の野心を持っていました。これに対抗するため日本の神々が相談し、熱田の神を唐に送りました。熱田の神は絶世の美女楊貴妃に変身して玄宗の心をたぶらかし、日本侵攻を思いとどまらせたのです。その後玄宗皇帝は、部下の反乱に会い都を追われ、楊貴妃は殺されました。楊貴妃はたちまち元の熱田の神に戻り、熱田神宮に帰還したのです。
楊貴妃伝説には続きがあって、楊貴妃が亡くなった後、楊貴妃の魂が「東の海上にあるという鳳来にある。」と聞いた玄宗は、家臣を東に向かわせました。家臣が到着した場所は仙女が舞い、五色の雲がたなびく美しい所で、その場所こそ熱田神宮だったというのです。先のパネルで描かれた楊貴妃の絵は、家臣が楊貴妃に面会したシーンで、右下の写真は、松に鶴と亀が描かれた「鳳来鏡」と言われる鏡で、鳳来の様子を表していると言われています。
by haru_tsuji
| 2022-05-10 06:00
| 熱田区・昭和区
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