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名古屋市営交通誕生と電車焼き討ち事件

 地下鉄や市バスなどの名古屋市営交通(名古屋市交通局)は、今年8月に100周年を迎えますが、名古屋市営交通の誕生はある大事件がきっかけでした。現在のJR東海道本線・武豊線の前身 武豊-木曽川間が開業したのは、明治19年(1886年)でした。当時名古屋駅は名古屋市の西のはずれで、葦が茂るような湿地帯でした。名古屋駅と栄など市内中心部との交通路の整備が課題でしたが、これを担当したのが、名鉄の前身「名古屋馬車鉄道」でした。その名の通り当初は馬車を運行していましたが、2年後の明治29年(1896年)には社名を「名古屋電気鉄道(名電)」に改め、京都電気鉄道の協力を得て、日本で2番目の市内電車路線の建設を始めました。

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 名電は、市内3つの国有鉄道駅(名古屋、千種、熱田)を結ぶ形で市内電車路線を整備し、一宮や犬山など郊外路線へも進出しました。

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<初めて市電が走った広小路通りにある歴史看板:広小路本町交差点西>

 そんな中大事件が起こりました。当時の名電は高収益を誇る企業でしたが、運賃がべらぼうに高かったため、大正3年(1914年)9月6日不満を持つ市民が鶴舞公園で運賃値下げの決起大会を開催しました。大会解散後デモ行進が行われましたが興奮した一部が暴徒化し、走行する電車に放火。さらに暴徒は名電本社、栄町営業所、柳橋駅へ押しかけ、放火したり物を壊すなどの暴挙にでたのです。暴動は1日では収まらず、県知事が軍隊の出動を要請。名電は全面運休となり平常運転に戻るのに4日もかかりました。これを「電車焼き討ち事件」と言います。事件後運賃は値下げされましたが、市民からは市民の足は市営でという声が強くなりました。

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 市電の公営化を求める声を受け、名古屋市は名電に対し買収交渉を始めましたが、名電にとって市内線はドル箱路線だったため、交渉は難航しました。こうした中、次なる事件が起こります。大正9年(1920年)6月7日主力車両基地である那古野車庫が失火で全焼してしまったのです。この事件により市内線車両の半数を失い経営が一気に悪化した名電は、市内線の売却に応じることとなりました。市内線は大正11年(1922年)8月に名古屋市へ売却されました。名電は、新たに「名古屋鉄道(名鉄)」を設立し、名電の郊外線を譲渡した後、解散となりました。

※(参考)Wikipedia:クリックして下さい。→ 電車焼き討ち事件

 下記写真は、名電の本社跡地に建てられた石碑で、名古屋駅の北東方向へ徒歩10分くらいの場所にあります。

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 名古屋市営交通は、戦後「名古屋市交通局」に改組されました。名古屋市交通局は昭和32年(1957年)地下鉄1号(現東山線)を開業させたのを皮切りに、市電から地下鉄への切り替えを進め、昭和49年(1974年)市電は廃止されました。現在名古屋の地下鉄は名鉄と相互乗り入れをしていますが、市営交通は歴史の上でも名鉄と繋がっているのです。
 

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by haru_tsuji | 2022-01-20 06:00 | その他 | Comments(0)