2021年 10月 25日
苦節10年 緑区誕生までのドラマ
緑区が誕生したのは、昭和38年4月1日ですが、誕生まで実に10年もかかりました。何故そんなに時間がかかったのか?今回は緑区誕生までの経緯をご紹介したいと思います。
緑区誕生のきっかけとなったのは、昭和28年に施行された「町村合併促進法」でした。これを受け名古屋市でも調査検討が進められ、9月には満場一致で市域拡張の決議が行われました。合併の対象は、鳴海町、有松町、大高町だけでなく、今の天白区や守山区、港区など18町村に及ぶ広範囲なものでした。この時行った町村側の世論調査では、合併賛成が56.9%、反対8.5%で、11月には合併に同意した11町村と名古屋市は合併を決議し、愛知県に廃置分合処理を申請しました。
合併推進派は、国会へ陳情を行いましたが、昭和30年9月総理大臣の処分が発表され、南陽町などの名古屋市編入は認められましたが、鳴海町については町政での対立状態では適当でないとの理由で合併はかないませんでした。
昭和33年にも2度目の合併運動が盛り上がりました。反対派の抵抗が続く中、鳴海町民の住民投票が行われ、賛成69.82%、反対30.18%という結果となりましたが、反対派町民と町議会との間で、反対3割以上の場合は合併見送りと事前に決まっていたため、合併はまたも実現しませんでした。
2度否決された合併問題でしたが、全体としては、ゆっくり合併の方向に世論は進んでいました。昭和37年、鳴海町議会に3度目の合併案が提出されました。人口増加により独立区となる可能性が高まったこともあり、10月今回はすんなりと満場一致で合併が決定。翌昭和38年4月1日に緑区が誕生し、区役所は旧鳴海町役場(現在の緑区生涯学習センター)に置かれました。有松町、大高町も知多郡からの編入ということで町議会の一部に反対があり、決定に時間がかかりましたが、昭和39年12月1日に、名古屋市緑区への編入が決まりました。
合併した有松町、大高町の旧役場は、区役所の有松支所・大高支所となりましたが、昭和49年区役所が現在の場所に移転し、両支所は廃止となりました。
by haru_tsuji
| 2021-10-25 06:00
| 緑区
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