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徳川宗春の金ぴかポスト

栄と伏見の間・錦通り呉服町交差点に金色にぬられたど派手な金ぴかポストが建っています。昔懐かしい丸形ポストで、ポストの上には尾張藩七代目当主徳川宗春のフィギュアがちょこんと乗っています。このポスト正式には、開運「ポスト宗春」というのだそうで、NPO法人「宗春ロマン隊」が2010年名古屋観光の新しいスポットとして制作したものです。 

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ポストの頭には、牛をイメージして耳と角が付いていますが、これは宗春が牛にのって名古屋の町を移動していたと言われているからです。またポストの金色は、名古屋城の金シャチからきていているそうです。

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<牛に乗って名古屋を練り歩く徳川宗春:大須 宗春爛漫にて>


徳川宗春は、尾張3代藩主徳川綱誠の子で、紀州藩の徳川吉宗と8代将軍継承問題で争って敗れた兄・継友が急死したため尾張藩を継承しました。就任直後自身の政治信条をまとめた「温知政要」を著し、行き過ぎた倹約は庶民を苦しめ、経済の活性化が必要と主張して、徳川吉宗が進める質素倹約を基本とする享保の改革と真逆の政策を断行しました。名古屋に芝居小屋や遊郭を誘致し、倹約令で火が消えたようになった町に活況を取り戻しました。

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<広小路通りにある徳川宗春の看板>

活況を誇った名古屋でしたが、膨大な財政赤字が膨らみ、家臣が宗春失脚を画策。将軍吉宗からも隠居謹慎を命じられ、藩主の座から引きずり降ろされてしまいました。晩年は不遇でしたが、宗春は名古屋に空前の繁栄をもたらし職人の町・芸どころの町である尾張名古屋の基礎を築きました。また将軍吉宗のライバルとして名古屋の存在感を高め、今でも名古屋では根強い人気を誇っていています。そのため名古屋市内には宗春を称えるスポットがたくさん作られています。


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<名古屋城にある金シャチ横丁:宗春ゾーン>

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by haru_tsuji | 2021-10-20 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)