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揚輝荘と伊藤次郎左衛門祐民

揚輝荘は、松坂屋の初代社長 伊藤次郎左衛門祐民によって建てられた別邸です。完成した昭和14年ごろには、約一万坪の敷地に、30数棟の建物が建ち並び、池泉回遊式庭園なども備えた巨大な邸宅でした。各界の要人や文化人も往来し、アジアの留学生が寄宿するなど国際的な社交場としても使われました。

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<揚輝荘のシンボル「聴松閣」>

揚輝荘は、第二次世界大戦の空襲により多くの建物が焼失してしまいました。戦後は米軍に接収されましたが、昭和27年に返還され、平成2年まで松坂屋の社員寮として使われていました。平成19年に名古屋市に寄贈されることになり、修復整備が行われた後、一般公開されるようになりました。

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<昭和14年頃の揚輝荘>

現在の揚輝荘は、敷地の中央部にマンションが建てられたため、南北に分断されていて、南園と北園に分かれています。南園にはかつての迎賓館だった「聴松閣」、北園には池泉回遊式庭園やシンボルの廊橋・白雲橋などがあります。

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<現在の揚輝荘は南園と北園に分かれていて、細い道でつながっています。>


揚輝荘を作った伊藤次郎左衛門祐民についても少し触れておきたいと思います。伊藤家はもともと尾張藩の御用達商人で、「いとう呉服店」を営んでいました。名古屋の名だたる豪商のひとつで、当主は代々「伊藤次郎左衛門」を名乗っていました。祐民は、14代伊藤家当主で名古屋商工会議所の会頭だった伊藤次郎左衛門祐昌の四男として明治11年名古屋で生まれました。兄たちが病弱で次々に亡くなってしまったため、17才の時、伊藤家の跡を継ぎ15代当主となりました。

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<伊藤次郎左衛門祐民>

明治42年渋沢栄一を団長とする日本実業家渡米団に参加し、アメリカで見学したデパートに大きな影響を受けました。帰国後、松坂屋の前身「いとう呉服店」を株式会社化し、名古屋で初めての西洋式デパートをオープンさせました。デパート業参入にあたって、父祐昌や古参の店員は反対したそうですが、それを押し切っての開業で、古い因習に囚われない、先見性をもった経営者でした。また家業を発展させただけでなく、第9代名古屋商工会議所会頭にも就任し、名古屋経済界のリーダとしても活躍しました。

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<写真上が祐民が参加した日本実業家渡米団、写真下が栄町に開業した「いとう呉服店」(後の松坂屋)>


このように揚輝荘は、戦前の歴史や文化を伝える貴重な施設ですが、美しい庭園なども残されていて、レジャー施設としても十分楽しめるスポットだと思います。場所は地下鉄「覚王山」駅から北へ10分くらい。次回は園内の施設についてもう少し詳しく紹介したいと思います。

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by haru_tsuji | 2021-08-15 06:00 | 千種区・名東区・守山区 | Comments(0)