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守口漬の考案者・山田才吉が作った水族館、大仏

今回は「山田才吉」という明治時代の事業家の話です。守口漬けは、明治16年山田才吉が考案したもので、名古屋で開業した漬物店「喜多福」で売り出したのが始まりだと言われています。当時は「守口大根味醂粕漬」と呼ばれ、大変評判になりました。才吉の店は中区の若宮八幡社西門のすぐ北隣にあったそうです。

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<山田才吉が創業した喜多福の流れをくむ喜多福総本家:中村区>


漬物事業で巨利を得た才吉は、新規事業にも乗り出し、愛知県初の缶詰製造工場を作ります。魚介類を中心とした缶詰がヒットし、日清戦争で陸軍が外地での保存食として缶詰を採用したことからここでも巨万の富を得ます。才吉は政界に進出。東邦ガスの前身名古屋瓦斯㈱の設立にも尽力する一方、料理旅館や巨大施設の建設に情熱を注ぐようになります。

明治30年中区栄付近に建設した「東陽館」(広大な庭園と400畳ほどの大広間を持つ御殿のような大料理旅館)を皮切りに、港区に5階建ての料理旅館「南陽館」、岐阜県可児市の木曽川沿いに料理旅館「北陽館」、東海市に伊勢外宮前の大旅館を移設した「聚楽園旅館」を次々にオープンさせました。



藤澤茂弘著 不屈の男 名古屋財界の怪物 山田才吉(発行所:ブックショップ マイタウン):
⋆本の表紙に描かれているのが、名古屋東陽館の庭園です。

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南陽館付近には名古屋教育水族館を建設しましたが、これは現在の名古屋港水族館とは全く別物で、遊園地などを併設しアクセスのために鉄道や観光船なども運行させるなど周辺も含めた一大レジャー施設でした。名古屋教育水族館の跡地には現在は東築地小学校が建っていて、東築地小学校のホームページから当時の様子を偲ぶことができます。


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<参考>東築地小学校の歴史(名古屋教育水族館について書かれています。)
    ※クリックして下さい。→ 東築地小学校の歴史


一代で名古屋屈指の経営者となり、名古屋発展のため数々の大規模施設を建設した才吉でしたが、東陽館は火災で焼失、南陽館は台風の高潮で流出するなど不幸続きでした。才吉が最後に渾身の力を振り絞って挑戦したのが、日本一の大仏建設でした。最初は寄付金を集めようとしましたが、思うようにいかず、最後はなけなしの私財を投入しして聚楽園旅館の敷地内に大仏を造営、昭和2年に開眼供養が行われました。


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大仏の右奥に山田才吉の功績を称える石碑が建てられています。戦前には山田才吉の銅像も建てられていたそうですが、戦時中の金属供出で無くなりました。聚楽園旅館は、聚楽園公園の丘の上に建っていましたが、取り壊されて現在は跡地に嚶鳴庵茶室が建てられています。

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<参考>喜多福総本家のホームページ(山田才吉の写真などが見られます。) 
    ※クリックして下さい。→ 喜多福総本家




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by haru_tsuji | 2021-04-15 06:00 | 愛知県内(その他) | Comments(0)