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波乱万丈‼金シャチ ヒストリー

今回は今話題の名古屋城金シャチの波乱にに満ちた歴史についてです。名古屋城は徳川家康の命令により築城が開始され、1612年に天守閣が完成しました。当時天守閣に取り付けられた金シャチは、一対で慶長大判1940枚分、重量にして215kgもの純金という、徳川家の権威を誇示する壮麗なものでした。華やかに登場した金シャチでしたが、そこからが受難の歴史の始まりました。財政が悪化した尾張藩は修理という名目で3度にわたり金シャチのウロコをはぎ取り、純度の低い金に取り換えてしまったのです。当初の輝きは失われ、それをカモフラージュするため、金網で覆ってしまう始末でした。


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明治維新後、尾張藩は明治新政府への恭順を示すため、明治3年名古屋城の取り壊しと金シャチの献上を申し出ます。翌年金シャチは地上に下ろされ東京に運ばれました。宮内省の倉庫に埃を被ったまま放置された金シャチ。当初は鋳つぶして政府の費用に充てようとも考えられていたようですが、幸いなことに、ドイツ人のマックス・フォン・ブラント公使の進言などにより、名古屋城とともに保存されることになります。しかしここから金シャチ放浪時代が始まります。夫婦の金シャチは引き離され、国内各地で開かれた博覧会を旅回り芸人のように転々と巡回することとなります。メスの金シャチは日本が初めて参加した万博の展示品としてウイーンにも送られました。


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金シャチは6年間各地を巡りしましたが、地元名古屋では金シャチへの郷愁が高まり、返還の機運が高まりました。明治11年地元財界人や名古屋区長吉田禄在などの尽力により、名古屋へと返還されます。


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しかし金シャチの受難はさらに続きます。名古屋城は陸軍省の管轄だった時期を経て、明治26年宮内省の管轄となり「名古屋離宮」と呼ばれる時期が長く続きますが、昭和5年、宮内省から名古屋市に下賜され国宝として一般公開されます。この下賜記念事業として行われた測量実測中の昭和12年に事件が起こります。オス金シャチのウロコ110枚の内58枚が盗まれてしまったのです。測量のため組まれていた足場を使っての犯行でした。指名手配の末犯人は捕まりましたが、この事件の責任をとって名古屋市長が辞任するという事態となりました。



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金シャチ最大の悲劇は、昭和20年の名古屋大空襲です。5月14日米軍のB29による爆撃が行われました。不運なことに避難のため組まれていた足場に焼夷弾がひっかかり名古屋城は炎上。金シャチも名古屋城とともに焼け落ちてしまいました。終戦のわず3か月前のことでした。燃えがらとなった金シャチの残骸は、進駐軍に貴金属として接収されましたが、昭和42年6.6kgの金塊として名古屋市に返還されました。返還された金塊は、市旗の冠頭と金の茶釜に加工され保存されています。現在の金シャチは2代目で、昭和34年天守閣再建の際に復元されました。


山シャチと名付けたオスの金シャチ:
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海シャチと名付けたメスの金シャチ:

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by haru_tsuji | 2021-03-25 06:00 | 中区・中村区・北区 | Comments(0)