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夏目漱石が「吾輩は猫である」を書いた家

明治村に夏目漱石が処女作「吾輩は猫である」を書いた家があります。この家は東京文京区にあった住宅で、明治36年から39年までの3年半夏目漱石が借家として暮らしていました。当時漱石は30代で、イギリス留学から帰国後、東京帝大(東大)で教鞭をとっていましたが、神経衰弱を患ってしまい治療の一環として創作活動を始めた時期です。漱石はこの家で「吾輩は猫である」に続き「坊ちゃん」「草枕」を執筆。文筆家としてのキャリアをスタートさせました。

実は森鴎外も1年ほどこの家に住んだことがありました。もともと医学者中島譲吉の住居でしたが、仕事の関係で空き家になったため、軍医だった森鴎外がしばらく借り受けました。鴎外の本業は軍医ですが、この家に移った年に処女作「舞姫」を発表しており文筆活動を始めた時期でもありました。その後歴史学者で漱石の友人でもあった斎藤阿具(さいとうあぐ)の父親が中島家からこの家を購入。阿具もドイツ、オランダに留学したため、その間漱石が借り受けることになったという訳です。

偶然にも明治の文豪二人が相次いで住んだこの家は、昭和39年明治村に移築されました。明治中期の典型的な中流住宅として国の登録有形文化財にも指定されています。古めかしい家ですが、近代日本文学誕生の息吹が感じられる場所でもあります。




「猫の家」とも呼ばれていた夏目漱石の旧居:

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南側に突き出した部屋が、漱石の書斎でした。

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明治村へ移転する前に住居があった場所には、下記のような石碑が建てられています。
(東京都文京区向丘2-20-7 日本医科大学同窓会館)

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by haru_tsuji | 2021-02-28 05:54 | 愛知県内(その他) | Comments(0)