2021年 01月 19日
鳴海絞の開祖碑/砦公園
今回のテーマは鳴海絞りの歴史と砦公園にある鳴海絞の開祖碑です。
鳴海宿の東 相原は、もともと藍原と呼ばれ、藍染めの藍が採れました。また江戸時代、三河や知多などで綿花の栽培が盛んになると、近郊から綿布も容易に調達できるようになり、鳴海でも絞り染めが盛んに行われるようになりました。鳴海は宿場町として人の往来も多かったため、手ぬぐい、頭巾、はんてん、浴衣など絞り製品がお土産品としてたくさん売れたようです。十辺舎一九の東海道中膝栗毛や安藤広重の浮世絵にも鳴海絞りが登場するなど、全国的なブランドにもなりました。絞りは尾張藩の政策により隣町 有松の専売品でしたが、近郊の鳴海でも運上金を収めることにより生産が許可されていたようです。
明治時代になると産業振興や鉄道開通による販売網の拡大で更に躍進をとげ、一時は業者数が百数十店にのぼりました。綿布への染色の他、最盛期のころには、京都の絞り業者とも交流するようになり、高級な絹絞りも行われました。また戦後の復興期には、海外輸出も盛んに行われ、毎年鳴海絞祭りが盛大に行われました。残念ながら昭和30年代になると、日本人の洋装化が進み、絞りの需要は減少。鳴海絞りは衰退してしましたが、昭和50年には有松絞とともに国の伝統工芸品として指定され、現在でも伝統を守り続けています。
なお鳴海絞りの起源は、必ずしも明確ではありませんが、名古屋城築城に従事していた豊後(現在の大分県)の侍医であった三浦玄忠が工事終了後も鳴海にとどまり、豊後絞りの技術を持っていた玄忠の夫人が、鳴海の人たちに教えたという伝承があります。このため鳴海絞りの開祖として、昭和9年鳴海絞商業組合(現在の鳴海絞商工協同組合)の人たちにより、「鳴海絞開祖三浦之碑」が砦公園に建てられました。毎年9月にこの碑の前で慰霊祭も行われているそうです。
by haru_tsuji
| 2021-01-19 05:30
| 緑区
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