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緑区は焼き物の町だった!(その1)

「緑区は焼き物の町だった」と言われても意外に思われる方が多いと思いますが、実は瀬戸焼や常滑焼のルーツは緑区にありました。時代は奈良・平安時代。以前は全く知られていませんでしたが、60年前ほど前に行われた愛知用水の建設工事で考古学上の大発見があり、徐々にその内容が分かってきました。「どのような発見があったのか」が今回のテーマですが、長くなるので話を3回に分けたいと思います。今回はまず発見のきっかけとなった愛知用水の建設工事と緑区とのかかわりについてです。

愛知用水は、大きな川が無く水不足で苦しんでいた知多地域を救うため建設されました。木曽川を水源とし、南知多町まで幹線水路112km、支線水路1000km余りの水路を作るという一大プロジェクトでした。1957年(昭和32年)着工。完成に4年余りを費やしました。愛知用水は、犬山、尾張旭、瀬戸など東部丘陵地域を経て、東郷町にある愛知池(調整池)に注ぎ、更に名古屋市緑区、豊明、東海市などを経由して知多半島に送られています。

緑区では地理的な理由で以前は愛知用水の水が使われていましたが、愛知用水は県の水道事業だったため、緑区が名古屋市へ編入されたのをきっかけとして、名古屋市の水道事業へ切り替えが進めらました。昭和58年に切り替えは完了しましたが、工業用水だけは、今でも名古屋市南部の一部で愛知用水の水が使われています。

愛知用水の建設工事で遺跡が発見された後、周辺地域でも同様の発見が相次ぎ、この地域で発見された古い窯跡群を猿投窯と呼ぶようになりました。詳細は次回以降で説明したいと思いますが、愛知用水の工事の際、発掘された遺品の一部が瀬戸の愛知県陶磁美術館などで展示されています。



愛知用水(みどりが丘公園付近)

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愛知用水の概要(愛知池にて)

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愛知用水工事の時に発見されたされた遺跡(愛知県陶磁器美術館にて)

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by haru_tsuji | 2020-09-26 08:00 | 緑区 | Comments(0)