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江戸川乱歩と瑞陵高校

あまり知られていませんが、推理小説の大家 江戸川乱歩(本名:平井太郎)は、名古屋にはとても縁が深い作家です。3才の時三重県名張から名古屋に転居し、旧制中学(現在の高校)卒業まで少年時代を名古屋で育ちました。ほぼ名古屋人といっても良いのではないと思います。

名古屋での居住地は栄・広小路あたりで、何度か引っ越しを繰り返していたようです。乱歩自身が「貼雑年譜」という自分史をまとめていて、当時の生活を伺い知ることができます。ただし乱歩が育ったのは明治時代で、その後太平洋戦争での空襲や戦後の区画整理、道路拡張などが行なわれたため、当時をしのばせる遺構は現在何も残っていません。

生まれ故郷の名張駅前には銅像が建てられており、就職後の1年3か月を過ごした鳥羽市にも「江戸川乱歩館」という博物館が建設されているのに比べ、多感な少年時代をすごした名古屋に何も顕彰するものが残っていないのはとても残念なことです。

わずかに乱歩が名古屋に暮らしていたという証が残っているのが、瑞陵高校です。瑞陵高校の正門前に杉原千畝を顕彰する施設(センポ・スギハラ・メモリアル)が作られていますが、実は杉原千畝と江戸川乱歩は同窓生で、この顕彰施設に展示されている写真に乱歩も映っています。また2014年に発行された「瑞陵会報」というOB会発行の冊子で、江戸川乱歩生誕120周年が特集されており、乱歩が学校初の自転車通学者だったことなどの逸話が書かれています。当時自転車は極めて高価で、父親の事業が倒産するまで裕福な家庭で奔放に過ごしていたようです。乱歩が名古屋を去ることになったのも父親の事業失敗が原因でした。




下記写真の一番上の人物が江戸川乱歩(本名:平井太郎)

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旧制第五中学校(現在の瑞陵高校)同窓会写真:江戸川乱歩が前列左から3人目、杉原千畝が前列右から4人目)、上部のメモも江戸川乱歩の直筆

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瑞陵高校正門

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注:「瑞陵会報」は、ネットで公開されていますので、興味がある方は検索してみて下さい。


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by haru_tsuji | 2020-09-11 08:00 | 南区・天白区・瑞穂区 | Comments(0)