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有松にあった捕虜収容所

太平洋戦争のころ、日本軍は捕虜にしたアメリカやイギリス軍など連合国側の兵士を収容するため、日本各地に捕虜収容所を開設していました。この地方でも、1943(昭和18)年有松駅の北側にある小高い丘の上、鳴海町有松裏に収容所が作られました。正式には「名古屋俘虜収容所第2分所」と言い、県内では唯一の収容所でした。終戦時には273人の捕虜を収容していたそうです。

この収容所については戦後すべて取り壊され、その存在を知る人もほとんどいなくなってしまいましたが、名古屋が誇る小説家 城山三郎が、1961(昭和36)年「小説中央公論」に発表した短編小説「捕虜が居た駅」の中で取り上げていています。

この小説は私小説風で、捕虜たちが強制労働のため毎朝有松駅から専用列車に乗り込む姿が描かれています。当時城山は学生で豊明に疎開しており、毎日有松駅で捕虜たちをよく目にしていたようです。捕虜の扱いはとてもひどいもので、殴る蹴るが絶えなかったようです。また城山は学徒動員で軍需工場の応援にも駆り出されるようになりますが、そこでも危険な仕事を強いられる悲惨な捕虜たちの姿を再び目にすることになります。

城山の「捕虜の居た駅」は単行本として発行されなかったため幻の小説でしたが、南山高校・中学教諭の馬場豊氏が、城山の作品をベースに「捕虜のいた町」という戯曲を創作し、2017(平成29)年に出版しました。この本では、著者が独自に取材した当時の様子も詳しく語られており、幻の城山作品も収録されていて、当時をしのぶ貴重な資料となっています。




収容所の遺構:
収容所はすべて取り壊されていてほとんど残っていませんが、坂道のかたわらに、わずかに残るレンガ積みの小さな壁は、収容所にあったポンプ小屋の跡だと言われています。

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収容所は、赤い丸で示したあたりにありました。現在は日本車両の社宅になっています。(写真左下あたりが有松駅)

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馬場豊氏の著書「戯曲 捕虜のいた町」-城山三郎に捧ぐ-(中日新聞社)に当時に様子が詳しく書かれています。

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昔は捕虜たちが乗り降りしていた有松駅

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by haru_tsuji | 2020-08-07 08:00 | 緑区 | Comments(0)