人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天神社(鳴海城跡)

天神社(あまつかみしゃ)は旧東海道の本町交差点から少し北に行っところにあります。もともと成海神社はこの場所に建てられていましたが、室町時代の始め(1394年)安原宗範という土豪が鳴海城を築城し、その際成海神社は現在の場所に移転されたと伝えられています。

戦国時代、織田信秀(信長の父)の家臣山口経継父子が鳴海城の城主となりましたが、信長の時代になると織田方から離反し今川方に寝返りました。その後城主が今川氏の重臣岡部元信に変わり桶狭間の戦いで信長と戦いましたが、戦いに敗れ主君義元の首と交換を条件に城を明け渡しました。1590年に廃城となり、成海神社旧地に城の鎮守だった天神社が祀られました。

天神社は成海神社の御旅所になっていて、毎年10月の成海神社例大祭では神輿が巡行します。また境内には、平成3年に建てられた3つの芭蕉句碑もあります。それぞれ詠んだ年は異なりますが、いずれも芭蕉が鳴海宿の友人を訪れた際に作った句です。




「鳴海神社 創祀 天神社」と書かれた石碑:創祀(そうし)というのは、「最初に祀った」という意味です。

天神社(鳴海城跡)_a0362603_11320981.jpg


天神社(鳴海城跡)_a0362603_11432339.jpg

境内にある「史跡 鳴海城跡」の石碑

天神社(鳴海城跡)_a0362603_15211329.jpg


<境内にある芭蕉の句碑ーその1>

「杜若(かきつばた)われに発句の思いあり」
芭蕉が知足亭に初めての来訪し俳諧興行をおこなった時の一句(1685年 芭蕉42歳)

天神社(鳴海城跡)_a0362603_21553371.jpg


<境内にある芭蕉の句碑ーその2>

「京まではまだ半空や雪の雲」
言亭で俳諧興行をおこなった時の一句(1687年 芭蕉44歳)

天神社(鳴海城跡)_a0362603_21495784.jpg


<境内にある芭蕉の句碑ーその3>

「よき家や雀よろこぶ背戸の粟」
知足亭で俳諧興行をおこなった時の一句(1688年 芭蕉45歳)

天神社(鳴海城跡)_a0362603_21405259.jpg


なお天神社のすぐ西に鳴海城跡公園があり鳴海城の西の丸があった場所だと言われています。「尾張志」という古文書には、鳴海城は東西75間(約135m)、南北34間(約61m)で四面に堀跡、本丸、二・三の丸にも堀があったと書かれています。今はまったく面影がありませんが結構大きなお城だったようです。


天神社(鳴海城跡)_a0362603_14364271.jpg



名前
URL
削除用パスワード
by haru_tsuji | 2020-02-13 08:00 | 緑区 | Comments(0)