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伊勢湾台風60年

名古屋市内に未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風が襲来して60年。この時の教訓を未来に生かすため、現在市内では企画展などがあちこちで開かれています。

この台風により市内では死者・行方不明者1,851人、被災者53万人もの大きな被害を受けましたが、南区・港区とその他の地域とでは様相が全く違っていたようです。他の地域では浸水被害が主だったのに対し、南区・港区では家が破壊され流出してしまう被害が多発し、死者・行方不明者とも両区に集中していたようです。特に南区は、東海市と接するあたり(現在の新宝ふ頭)や山崎川河口あたりに大きな貯木場があったため、高潮とともに重さ数トンもあるような巨大な木材が一気に市街地に流入し被害を大きくしました。

その時の状況を後世に伝えるため、市内各地に慰霊碑などが建てられていますが、今回はその中からいくつかを紹介してみたいと思います。


1.伊勢湾台風台風記念像 愛と力の筏(南区大同高校南)

被災直後、一帯が泥海となる中、大同高校の4階建て校舎が被災を免れ2,000人余りの人達が避難しました。この時生徒たちは人命救助や復興活動など献身的に活動し、後に総理大臣から表彰されました。この像はその時の功績を後世に伝えるために建てられたものです。なお像の作者は芸術院会員で名古屋市出身のの野々村一男氏だそうです。


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像の台座には当時の高潮水位が刻まれています。

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2.くつ塚(伊勢湾台風殉難者慰霊の碑):南区浜田南公園)


このあたりでは高潮により300名あまりの人が亡くなりました。水が引いた後この付近一帯から拾い上げられた遺品の雨靴がうずたかく積み上げられ、いつのまにか「くつ塚」と呼ばれるようになりました。この石碑は学区で亡くなった方を慰霊するため後に建てられたもので、裏側には亡くなられた方々の名前が刻まれています。

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慰霊碑の右側にある伊勢湾台風の説明パネルです。地図で赤く示されているのが浸水地域です。なお右側ポールの上部に赤く示された高さが当時の最高浸水位(2.5m)です。


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3.伊勢湾台風記念碑:港区役所前

海抜0m地帯が広がる港区もこの台風で大きな被害を受けました。特に被害が大きかったのは南陽町のあたりで、堤防が高潮により次々に決壊、一帯は瞬時に海となってしまったそうです。堤防の仮締め切りに1か月、排水に2か月も要したそうです。この母子像は港区の無災害と発展を願って昭和37年に旧港区役所に建てられ、後に現在の場所に移築されました。


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by haru_tsuji | 2019-10-08 14:23 | 南区・天白区 | Comments(0)