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県名の由来 年魚市潟(あゆちがた)

南区に白毫寺(びゃくごうじ)というお寺がありますが、このお寺の境内に「年魚市潟(あゆちがた)勝景」という碑が建てられています。何気ない碑ですが、実はとても深い歴史を秘めているので紹介します。

昔南区から熱田区あたりの一体は海岸線で、「あゆち潟」と呼ばれていました。この名前は万葉集にも出てくるとても古い地名です。今は木が生い茂っていますが、この碑が建っているあたりは高台になっていて、昔はオーシャンビューの景勝地だったようです。以前紹介した古代の道「鎌倉街道」もここにつながっていて、旅人たちは皆ここに立ち寄りました。この碑の横には万葉歌碑もあり、多くの歌人がここで旅の感動を歌に詠んだと言われています。

なお県名の「あいち」は「あゆち」が転じたもので、廃藩置県の時にこの一帯の地名として使われていた「あいち郡」が県名として採用されたとのことです。(明治5年)


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万葉歌碑:「年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ」と書かれている。意味は、年魚市潟(あゆちがた)の潮が引いたようだ。知多の浦に朝漕ぐ舟も沖によっているのが見える。万葉集 巻7-1163 の歌。作者は不詳。


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白毫寺

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年魚市潟の由来を説明した立て看板

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右側に見えるのが白毫寺。この道の突き当りに「年魚市潟勝景」の碑がある。昔の鎌倉街道はこのような道だったのではないだろうか。


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呼続小学校から旧東海道沿いに少し歩くとこのような道標がある。左に折れて鎌倉街道と書かれた道の方に入ると白毫寺がある。(東海道は江戸時代初期に整備された道で、鎌倉街道はそれ以前の道。)

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※以前書いた鎌倉街道についての記事です。併せてご覧ください。






Commented by にふ2727 at 2022-04-12 10:31 x
呼続を離れてはや30年…薄い記憶で愛知はあゆちが転じた県名だったかな?って…。スッキリしました。
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by haru_tsuji | 2019-02-12 14:07 | 南区・天白区 | Comments(1)