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芭蕉と鳴海六俳仙 (誓願寺)

江戸時代作り酒屋で財を成した下里家の二代目当主吉親は俳人としても有名で俳名を知足といいました。知足は鳴海宿に住み、鳴海本陣の当主寺島芙言や、その分家である寺島安信などといったこの地方の著名人と俳諧グループを作り、「鳴海六俳仙」と呼ばれていました。
本陣というのは大名などが宿泊する宿のことなので、このグループは相当格式の高い人たちの集まりだったと思われます。

鳴海六俳仙は有名な松尾芭蕉とも親交があり、芭蕉は旅の途中でしばしば鳴海宿を訪れていたようです。(記録では4回)。以前紹介しましたが、千鳥塚は1687年に寺島安信宅で行われた句会を記念して建てられた句碑で芭蕉自筆のものです。

鳴海駅近く旧東海道沿いにある誓願寺も芭蕉ゆかりの史跡で、名古屋市文化財に指定されている芭蕉最古の供養塔が残っています。これは芭蕉がなくなった1694年に追悼会が行われた際に作られたものです。また後年になりますが、幕末に芭蕉をいたんで作られたお堂もあり、芭蕉堂と呼ばれています。このお堂を作ったのが、永井荷風の曽祖父に当たる永井士前という人です。堂内には台風で倒れた芭蕉お手植えの杉の木で作られたとされる芭蕉像が安置されています。この像は江戸時代中期に嘉右衛門という仏師が作ったとされています。芭蕉堂はいつも鍵がかかっているので、芭蕉像を拝観するには予約が必要です。


誓願寺(千代倉家菩提寺)千代倉家とは下里本家のこと
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芭蕉堂。写真左下に写っているのが芭蕉最古の供養塔

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芭蕉堂に安置されている芭蕉像

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供養塔。「芭蕉翁」と刻まれている。

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千鳥塚については、下記リンクをご覧下さい。







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by haru_tsuji | 2018-05-20 06:14 | 緑区 | Comments(0)