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秀吉清正記念館

 前回は豊臣ミュージアムを紹介しましたが、今回は同じ中村公園周辺にある観光スポット「秀吉清正記念館」についてです。この施設は名古屋博物館の分館で中村公園の西隣にある中村公園文化プラザの2階にあります。ここでは中村区で誕生した2人の武将 豊臣秀吉と加藤清正に関する資料を展示しています。

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 展示では秀吉の誕生から天下統一までのサクセスストーリーを紹介するとともに、検知や刀狩りなど秀吉がおこなった政策について当時の資料などをもとにした展示が行われていました。

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<豊臣秀吉の紹介動画>

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<展示室>

 下記写真は検地尺と検地帳です。秀吉はそれまで全国でバラバラだった長さの基準を統一し(検地尺)、田畑の広さを正確に測って年貢収入を安定させました。また貨幣経済を発展させ、大判の鋳造なども行いました。

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<右から 検地尺、検地帳、天正大判>

 展示では賤ヶ岳や関ケ原など豊臣家ゆかりの古戦場なども写真で紹介されていました。

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<賤ヶ岳古戦場の写真>

 秀吉の他、秀吉に関係した人物について、クイズ形式の人物あてコーナーがありました。パネルを裏返すと正解(誰なのか)が分かり、解説も書かれていました。楽しく歴史勉強ができるよう工夫された展示だと思いました。また大河ドラマ「豊臣兄弟!」で話題の豊臣秀長の肖像画や秀長が書いた書状なども展示されていました。織田信長、明智光秀などの肖像画もありました。

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<戦国人物あてコーナー>

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<豊臣秀長の肖像画>

 加藤清正は秀吉と同じ中村出身で、賤ヶ岳の戦いで功績をあげ七本槍と呼ばれ、その後は熊本54万石の大名となりました。清正コーナーでは清正像や、清正のシンボルで清正が朝鮮出兵の時にかぶったとされる兜などが展示されていました。

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<加藤清正コーナー>

 この施設は、年末年始と毎月曜と第4火曜日が休館日です。入場無料ですので、豊國神社や豊臣ミュージアムと一緒に見学するのがおすすめです。


# by haru_tsuji | 2026-04-10 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

 今回は中村公園にある「豊臣ミュージアム」についてです。この施設は名古屋市を中心とした官民連携のグループ(名古屋市大河ドラマ「豊臣兄弟!」活用推進協議会)が作った期間限定の博物館で、名古屋市や秀吉・秀長を産んだ尾張・中村の魅力発信を目的としています。

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<豊臣ミュージアム>

 豊臣ミュージアムのメインは大河ドラマ館で、ドラマの世界観が再現されている内容となっています。主人公豊臣秀長(小一郎)役の仲野太賀さんを始め、ドラマの主要キャストが紹介されています。ドラマの進行に合わせ展示内容も随時更新されているようで、秀長の妻 慶(ちか)役の吉岡里帆さんも紹介されていました。撮影禁止でしたが、出演者のサイン展示もありました。

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<出演者紹介>

 ドラマ始まりの地 中村のリアルなセット「小一郎の家」の展示もありました。座敷には囲炉裏が作られ、煮炊きするかまどなども再現されていました。

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<小一郎の家>

 仲野太賀さんや池松壮亮さん、小栗旬さんなどが撮影で着た衣装やその時に使った小道具なども展示されていました。衣装のデザインや風合いは時代考証にあわせて凝った作りになっていました。

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<出演者の衣装(織田信長)>

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<小道具>

 また出演者の等身大パネルのフォトスポットコーナーや4Kシアターも作られていました。4Kシアターではキャストのインタビューやドラマの感動シーン、メイキング映像などが上映されていました。

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<出演者の等身大パネル>

 大河ドラマ館は有料施設ですが、併設しているミュージアムショップと「戦国めし×名古屋めし」コーナーは入場無料でした。「戦国めし×名古屋めし」コーナーでは信長・秀吉・家康の三英傑が好んで食べた食事のサンプルなどが展示されていました。

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<ミュージアムショップ>

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<戦国めし>

# by haru_tsuji | 2026-04-05 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

 今回紹介するのは豊明市にある桜花学園大学・名古屋短期大学のキャンパス内にある「信長坂」です。この大学は豊明市と名古屋市緑区との境界付近にあり、丘陵部の西側斜面にキャンパスが建っています。信長坂はキャンパスの南端にあり「しんちょうざか」と呼ばれています。

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<信長坂>

 この坂は桶狭間の戦いの際、織田信長軍が進軍したと伝えられている坂で、先日放映されたNHKブラタモリでも紹介されました。この坂は桶狭間古戦場にある歴史スポットの中では紹介される機会が少ないと思いますが、ブラタモリで案内役を務めた小和田哲夫さんは、静岡大学の名誉教授で戦国研究の第一人者なので、信長がこの坂を進軍したという話は、かなり信ぴょう性が高いのではないかと思います。

 また信長坂の近くには、釜ヶ谷という歴史看板も建てられていて、中島砦から進軍してきた信長軍がこの谷に潜み、突撃の機会をうかがっていたと紹介されています。

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<釜ヶ谷>

 坂を上っていくと、見晴らしの良い場所が現れます。信長軍はここから「おけはざま山」に本陣を置いた今川軍に襲い掛かったとされますが、ブラタモリでは何故かこの場所で放送が終わっています。桶狭間古戦場の場所については様々な説があり、おそらくブラタモリではいろいろな説に配慮して、ここからどう進軍したかは視聴者の想像にゆだねたのではないでしょうか?

ここから見渡すと、南西側には桶狭間古戦場公園周辺がゴルフ練習場越しに見えます。

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<南西(長福寺方面)の風景>

 また反対側の北東方向には、豊明にある桶狭間古戦場伝説地横にある高徳院の納骨塔も大学のグランド越しに見ることができます。

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<北東(高徳院方向)の風景>

 現在桶狭間古戦場公園の近くに今川義元本陣跡碑(おけはざま山)という石碑がたてられていますが、最近江戸時代に書かれた古文書が発見され、今川義元の本陣が石塚山と呼ばれていた場所(現在は豊明のホシザキ㈱本社付近)にあったと書かれていて論争が続いているそうです。いずれにしても今川軍は約25、000人という大群だったので、戦いはこのあたり一帯で行われたであろうことは容易に想像できます。

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<今川義元本陣跡碑(おけはざま山):桶狭間古戦場公園近く)>

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<江戸時代に書かれた古文書:桶狭間之合戦絵図>

 このように信長坂は、重要な歴史スポットという事で、大学の私有地ですが一般公開しています。公開時間は、月~土の9:00〜17:00ですが、3月22日〜5月6日までは期間限定で日曜・祝日も見学可とのことです。予約や大学の許可は必要ありません。また名古屋側から行く場合、市バス地蔵池が最寄りのバス停で、そこから東へ徒歩10分程です。

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<桶狭間古戦場周辺マップ>

# by haru_tsuji | 2026-03-30 06:00 | 東海・大府・豊明・東郷・日進 | Comments(0)

 名古屋市緑区が制作した地域密着型の新作映画「 セイシュン・モンスターズ」がついに完成。3月22日に緑文化小劇場で試写会が行われました。

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<緑文化小劇場>

 この映画は、緑区市政60周年を記念して2024年に作った「M-60 THE WARRIOR」に次ぐ第2弾の作品です。前回は緑区誕生までの歴史に焦点を当てた作品でしたが、今回は悩みを抱えた女子校生の成長物語になっています。

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<セイシュン・モンスターズ>

 監督は前回に引き続き緑区在住の林一嘉監督。主演の唯(ゆい)役は、名古屋市を中心に舞台や映像映画の役者として活動している野々まひろさんです。

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<林一嘉監督>

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<川瀬莉子さん(左)、野々まひろさん(右) 大高イオンにて>

 この映画はオール緑区内ロケで作られていて、大高イオンや大高の名古屋グランドボウル、有松、鳴海駅前、鳴海配水塔など、なじみの風景がたくさん登場します。また林監督が得意とするアクションも多用されていました。

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<鳴海配水塔>

 映画では内気でオタクの唯が妄想する自分の分身が何人も登場します。そのうちの1人が憧れの絞り職人のお姉さんのしほりです。しほりを演じるのは緑区出身の女優 川瀬莉子さんです。試写会後、緑区役所から川瀬さんの緑区PR大使就任式も行われました。

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<川瀬莉子さん(右):緑区PR大使就任式>

 この試写会では、映画にも出演した名古屋の2人組ガールズグループ FleuR(フルール)の歌やダンス、 ポッカレモン消防音楽隊(名古屋消防音楽隊)のミニコンサートなどもあり、楽しい試写会でした。

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<2人組ガールズグループ FleuR>


# by haru_tsuji | 2026-03-24 06:00 | 緑区 | Comments(0)

 有松にある棚橋家住宅で「有松史料調査保存会発表会」と題した歴史展示会が開催されました。棚橋家住宅は有松を代表する絞商(大井桁屋)の建物でしたが、昭和8年(1933年)から棚橋医院として50年程使われ、現在はイベントなどに使用されています。有松に2軒ある国登録有形文化財のひとつです。

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<棚橋家住宅>

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<有松史料調査保存会発表会>

 この他展示会では、有松の古い写真や地図などが展示されていました。有松の街並みは昔とあまり変わっていませんが、名鉄有松駅から旧東海道へと続く坂道は区画整理で拡張され、景観は昔とかなり変わっています。この坂道は、かつて牛頭天王を祀る津島神宮(お天王さま)があったことから、「お天王坂」と呼ばれていました。

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<昭和のお天王坂界隈>

 また浮世絵等で見る絞り業者の分布というパネルが展示されていました。明治以降絞商もいろいろ変わっていて現在の屋号と違いがあることが分かります。

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<浮世絵等で見る絞り業者の分布>

 また昭和時代有松絞りの商談に使った見本帳も展示されていました。

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<有松絞り見本帳>

 この展示会の特別企画として 映像上映会も開催されました。上映会は2本立てで、1本目が瀬戸市の映像作家 加藤雅巳氏が昭和10年に撮った有松の紹介動画で、世界に有松絞りの素晴らしさをPRするような内容でした。

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<加藤雅巳氏>

 2本目は棚橋家住宅に住んでいた棚橋恭子さんが語る戦時下の有松の話でした。有松には昭和初期まで医院がありませんでした。そこで名古屋医科大学(現在の名大医学部)から若手医師の棚橋隆三氏を招へいしました。龍三氏の長女が今回の語り手 棚橋恭子さんです。

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 恭子さんの話はとても生々しいものでした。昭和20年1月棚橋家の裏手にある防空壕近くに2発の爆弾が投下されました。恭子さんは避難して危うく難を逃れたそうですが、とても激しい爆風だったそうです。有松は戦災に遭わず昔の面影が残されていますが、同じ年にもう一度爆弾が投下されており、一つ間違っていたら有松も焼失していたかもしれなかったそうです。また戦時中は物資不足で、恭子さんのランドセルはダンボール製、薪が不足して有松天満社の森が禿山となり、祇園寺の釣鐘も供出されてしまったそうです。

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<棚橋恭子さんが語る爆弾投下の話>

 かつて有松駅の近くには捕虜収容所がありました。棚橋医師はアメリカ人軍医と共に捕虜の治療を担当していましたが、戦時中医薬品が不足し、満足な治療が行えませんでした。戦後死亡した捕虜にお灸の治療をしたことが発覚し、虐待の罪で棚橋医師は戦犯として訴えられました。幸い同僚のアメリカ人軍医が裁判で証言し、お灸治療の正当性が認められ、投獄を免れたという事件もあったそうです。

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<有松にあった捕虜収容所>

 今の有松の姿からは想像もつかない辛い歴史が有松にもあったことが今回の展示会で良く分かりました。

# by haru_tsuji | 2026-03-20 06:00 | 緑区 | Comments(0)