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尾張藩フェア

 名古屋城二之丸広場で「尾張藩フェア」が開かれました。名古屋城にゆかりの深い旧尾張藩の自治体によるブース出展やステージイベントなどが行われました。

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<尾張藩フェア>

 尾張藩というと愛知県西部というイメージがありますが、藩域は木曽川流域の岐阜県東濃地方や長野県の木曽地域もにおよぶ広大なものでした。この地方には尾張藩直轄の御用林があり、質の良い木曽のヒノキが採れました。切り出された木材は木曽川の流れに乗り名古屋へ送られ、名古屋の産業を支えました。

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<ステージイベント:参加自治体のPR>

 今回の尾張藩フェアに参加の自治体は下記写真の12自治体です。愛知県からの参加は名古屋市と犬山市のみですが、知多地域一帯や瀬戸、尾張旭、春日井、小牧、清須、あま、津島、稲沢、一宮など愛知県西部の大半が尾張藩の領域でした。岐阜県からは郡上市、下呂市、中津川市の3市か参加しましたが、岐阜県は当時小藩に分割されていて、あいちこちに尾張藩の飛び地もありました。長野県からは木曽地域の7市町村が参加しました。この地域はもともと木曽義仲を起源とする木曽衆と呼ばれる一族が支配していましたが、関ケ原の戦い後徳川家の重臣となり、所領が尾張藩となった地域です。観光地として有名な馬籠宿(中津川市)や妻籠宿もこの地域内にあり尾張藩に属していました。

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<尾張藩フェア参加自治体>

 各自治体のブースでは中津川の栗きんとんや塩尻市のワイン試飲など名産品の即売会などが行われ、各自治体の観光案内や、木曽町の木曽踊りなどのステージパフォーマンスなども行われ、大変盛り上がっていました。

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<中津川の展示ブース>

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<郡上市の展示ブース>

# by haru_tsuji | 2023-11-25 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

 今回紹介するのは歯の博物館(歯と口の健康ミュージアム)です。この施設は愛知県歯科医師会が運営する博物館で、歯科医療の歴史などを通して歯と口の健康維持を伝えていく施設です。中区丸の内3丁目の愛知県歯科医師会館1階にあり、誰でも無料で見学することができます。

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<マスコットキャラクター:はちまるくん&にいまちゃん>
 
 この施設でまず目にとまるのが、歯科の歴史展示コーナーです。まだ歯科医療の技術が無かった時代、虫歯になるのはとてつもない苦しみでした。下記写真は昔の人が抱いていた虫歯のイメージです。左側は歯の中にいる虫が人をむしばむ様子で、右側は虫歯の痛みが地獄の苦しみにたとえられています。

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 下記写真は江戸時代に使われた抜歯の道具(上写真右)で、木製の入れ歯(上写真左)も作られていました。下の写真は「きたいなめい医 難病療治」という題名の江戸時代に描かれた抜歯の様子を描いた浮世絵ですが、麻酔がなかった時代の虫歯治療は本当に壮絶なものだったようです。

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<江戸時代の入れ歯(左)と抜歯の道具(右)>

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<抜歯治療の様子>

 昔の人たちは虫歯予防も行っていました。写真右が歯木、房楊枝と呼ばれる歯ブラシのルーツです。木の枝の片方をほぐして歯ブラシのように使い、反対側は楊枝として使いました。また写真左はお歯黒(歯を黒く染める)用の道具で、虫歯や歯周病予防にも役立っていました。
 
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<お歯黒道具と歯木・房楊枝>

 この他、昭和初期の歯科治療椅子やレントゲン装置などレトロな歯科治療装置も展示されています。

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<昭和初期の歯科治療椅子>

 この他、歯の基礎知識や歯周病などについてパネルや映像で説明するコーナーなどもありました。歯周病は体に様々な悪影響を与えることが分かってきており、口腔ケアを心がけることが健康維持にとってとても重要なのだそうです。

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<歯の基礎知識>

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<歯周病と体の病気>

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<オーラルフレイル予防から始まる健康寿命>

葉の博物館は久屋大通り駅から北へ徒歩5分程の愛知県歯科医師会館1階。開館日は木・土・日・祝です。

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<赤枠:愛知県歯科医師会館(歯の博物館)、注:左が北>

# by haru_tsuji | 2023-11-20 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

頑張れドルフィンズ !

 名古屋ドルフィンズの応援でドルフィンズアリーナに行ってきました。国内バスケットボールプロリーグ最高峰のB1は10月からレギュラーシーズンが始まり一か月余りが経ちましたが、ドルフィンズが所属する西地区は上位5チームが1ゲーム以内でひしめく激戦となっています。この日はゲーム差無しで並ぶ2位大阪エベッサと3位ドルフィンズとの闘いで、ドルフィンズが混戦から抜け出せるかどうか正念場の一戦です。

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 試合前に少しB1リーグのシステムを説明しておくと、参加チームは全24チームで、東地区、中地区、西地区の3地区制で、各地区8チームに分かれて戦います。レギュラーシーズンは10月から翌年5月までで、同じ地区同士は4試合、他地区のチームとは2試合の合計60試合を戦います。この後トーナメント形式のチャンピオンシップと呼ばれるプレイオフが行われます。チャンピオンシップに参加できるのは各地区上位2チームとワイルドカードと呼ばれる3位以下の勝率上位の2チームです。またレギュラーシーズン成績下位の2チームはB2リーグとの入れ替えが行われます。

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<ドルフィンズアリーナ>

 名古屋ドルフィンズは1950年設立の古豪チームで前身は三菱電機男子バスケットボール部です。2016年Bリーグ参戦に伴い現在の名称となりました。B1リーグ発足以来まだ優勝はありませんが、このところ2シーズン連続でチャンピオンシップに進出しています。

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<試合会場>

 15:05に試合開始。第1クォーターはチーム1のポイントゲッター ロバート・フランクスなどが得点を重ねドルフィンズが先行する展開でした。第2クォーターは司令塔の齋藤拓実や身長210cmの巨人ジョシュア・スミスらが活躍しリードを2桁に拡大。第3クォーターは一時1桁点差まで詰められる場面もありましたが、フランクス、齋藤、スミスらが着実に加点し得点差を20点以上に広げ、最後の第4クォーターもリードを保ち、84-63で快勝しました。

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<ドルフィンズ勝利(11月11日)>

 翌日も同じカードでドルフィンズが連勝。この勝利でゲーム差0ながら得失点差で琉球ゴールデンキングスを上回りドルフィンズは西地区1位に浮上しました。これで前半のレギュラーシーズンは一旦終了し、「バイウィーク」と呼ばれるリフレッシュ期間に入り、レギュラーシーズン再開は12月9日からとなります。

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 なお試合途中のハーフタイムやインターバルタイムでは、チアリーディング「ドルフィンズルージュ」や子供たちのかわいいダンスパフォーマンスなどもあり、会場を盛り上げていました。

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<ダイアモンドリュージュと昭和保育園園児のダンスパフォーマンス>

 またドルフィンズアリーナ西側の亀甲広場では試合と協賛で「おいもと甘味フェス」も開かれ、グルメを楽しみながら試合観戦もできるようになっていました。

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<おいもと甘味フェス>


# by haru_tsuji | 2023-11-15 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

 明治から昭和にかけて東区一帯には輸出陶磁器の絵付け工場や貿易業者が軒を連ねていて、日本最大の輸出陶磁器の生産地、集積地でした。名古屋市政資料館近くの主税町公園には下記のような歴史パネルが建てられていて、当時の様子を偲ぶことができます。

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<主税町公園の歴史パネル>

 パネルが建てられているのは、かつて森村組(現在のノリタケ、TOTO、日本ガイシなどの森村グループ)の絵付け工場があった場所で、名古屋の陶磁器産業発展のきっかけとなりました。下記写真は、森村組絵付け工場内の様子(上)で、オールドノリタケと呼ばれる芸術性の高い洋食器(写真下左)を製造し、全世界に輸出されました。また工場のあった主税町(ちからまち)はブランド名としても使われました。(写真下右)

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 下記地図は昭和9年の輸出陶磁器関連業者の分布図で、西は主税町公園付近から東は大曽根駅辺りにかけて、絵付け製品製造工場(●)や貿易商(〇)家内工業、付帯工業(▲)などが軒を連ねていました。その数は事業所数が650、従業員数は約14,000人にも上りました。

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 この辺りには当時の様子を伝える建造物なども残っています。名古屋市が管理する「文化のみち撞木館」は陶磁器貿易商だった井本為三郎が大正末期から昭和初期に建てた邸宅で、落ち着いた雰囲気の和室や大正ロマンが漂うステンドグラス付きの洋館、緑豊かな庭園などがあり、当時の貿易商の優雅な暮らしぶりを感じることができます。名古屋指定有形文化財・名古屋市景観重要建造物に指定されています。

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<撞木館>

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<井本為三郎>

 撞木館の近くに旧春田鉄次郎邸も残っています。こちらも貿易商の旧邸宅で、大正時代に建てられました。洋館と奥が和館になっていて、洋館1階が現在レストランとして使われています。

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<旧春田鉄次郎邸>

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<春田鉄次郎>

 このエリアには名古屋陶磁器会館もあります。昭和7年名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として建てられました。大きな半円窓やテラコッタが特長的で、四面が施釉スクラッチタイルで覆われた昭和レトロな建物です。現在は陶磁器の展示、陶磁器の絵付け教室、陶磁器の販売所として使われています。国の登録有形文化財、景観重要建造物にも指定されています。

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<陶磁器会館>

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<陶磁器販売コーナー>

 本日紹介した施設は下記の通りで、地下鉄高岳駅から北へ徒歩15~20分程です。

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# by haru_tsuji | 2023-11-10 06:00 | 中区・中村区・北区・東区・西区 | Comments(0)

 大高城跡で名古屋市教育委員会による初めての発掘調査が行われ、戦国時代の土器などの新発見があったそうです。これら出土品の特別展示会が、10月28、29の2日間イオンモール大高で行われました。

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 調査が行われたのは令和2~4年で、まず地中レーダー探査が行われ、令和3年と4年の2回発掘調査が行われました。発掘が行われた場所は、本丸があったとされる場所とその南側で、知多郡大高村古城絵図(江戸時代前期に書かれた古文書)に描かれていて現在は存在しない堀があったとされる場所です。

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<知多郡大高村古城絵図で描かれている大高城>

 発掘調査の結果本丸は白い土で大規模に整地されていたこと、本丸南側には幅約15m、深さ約4mの大堀が掘られていたことなどが分かりました。

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<発掘場所>

 堀を埋めていた土からは15世紀後半から16世紀前半のものと考えられる土器などが出土しました。桶狭間の戦いが1560年(16世紀後半)ですので、これらの出土品は、桶狭間の戦い以前に大高城を支配していた花井氏や水野氏といった豪族が使っていた物であろうと推定されています。

出土品①:
(右上)水滴(硯に水を指す器)
(下、左から)瓶子(酒器として使われた壺)、常滑製品 甕、土師器 皿

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<出土品①>

出土品②:
(上、左から)すり鉢、天目茶碗、徳利
(下)笄(こうがい)

「笄」は武士が髷(まげ)を作るときに使う結髪用具で、刀のさやに収めて持ち歩いていたそうです。

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<出土品②>

 なお発掘の詳細は名古屋市教育委員会で調査報告書を作成するそうで、出土品の展示などについては今後検討していくとのことです。


# by haru_tsuji | 2023-11-05 06:00 | 緑区 | Comments(0)