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 千種区にある相応寺は尾張藩主徳川義直の母 お亀の方を祀ったお寺です。お亀の方は京都の石清水八幡宮の神職 志水宗清の娘で、21歳の時(1594年)徳川家康に見初められ側室となりました。

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<相応寺本堂>

 当時は豊臣政権で、第1次朝鮮出兵(文禄の役)の直後で、関東の大大名となっていた家康は、京都の二条城に滞在することが長くなっていました。お亀の方は家康との最初の子 仙千代を産みましたが、6歳の時 亡くなってしまったため、菩提を弔うため名古屋に高岳院を建立しました。

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<高岳院:地下鉄高岳駅近く>

 関ヶ原の戦いの後 お亀の方は 家康との二人目の子 五郎太丸を産みました。家康は1603年征夷大将軍に任せられ、翌年将軍職を3男秀忠に譲りました。1607年家康4男の松平忠吉が死去したため 元服した五郎太丸(徳川義直)が後を継ぎ、尾張藩主となりました。

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<お亀の方:相応寺蔵>

 お亀の方は家康に嫁ぐ前に2度の結婚歴があり、竹腰正信と石川光忠という子供がいましたが、この2人も家康が召し抱え尾張藩の重臣となりました。家康は1612年名古屋城を築城し、清洲越しを断行。義直は初代名古屋城主となりました。

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<名古屋城>

 家康没後はお亀の方は髪をおろし、相応院尼にとなりました。相応院尼は晩年江戸で暮らし、1642年69歳で亡くなりました。1643年徳川義直は母の菩提を弔うため、現在の東区山口町(建中寺のすぐ北)に相応寺を建立しました。
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<江戸時代の絵図:中央付近に建中寺、その右奥に相応寺>

 1934年 山口町から現在の千種区城山町に本堂 総門 山門 鐘楼などが移築されました。本堂には義直が書いたとされる相応院尼の肖像画が残されている他、山門と本堂には義直の直筆とされる額が掲げられています。

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<相応寺総門>

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<相応寺:標札>

 なお名古屋城の西の丸御蔵城宝館では2月24日まで相応寺展が開かれていて、相応寺所蔵のお宝が展示されています。

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<相応寺展>

# by haru_tsuji | 2025-02-15 06:00 | 千種区・名東区・守山区 | Comments(0)

 バレンタインデーが近づいてきましたが、イオンモール大高では こんな バレンタインイベントが行われました。その名もフラワーバレンタイン。このイベントは 愛知県と県内の花き関係団体で作られた「フラワーバレンタインあいち実行委員会」プロジェクトが2011年から行っているイベントです。

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 この日はプロジェクトメンバーが音楽に合わせて即興でブーケを作ったり、大村知事が登場し、「バレンタインデーに花を送る文化を社会に広げていきましょう。」と呼びかけていました。スピーチの後、メンバーと一緒に大きな花束を作り、誕生日や結婚記念日の近い人などにプレゼントをしていました。

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<花束を作る大村知事>

 愛知県の花の生産額は1962年から全国1位なのだそうです。キク バラ 洋蘭 観葉植物を初め様々な品目が栽培されており、愛知は花の王国です。

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 愛知県だけでなく東京でも同様のプロモーションが行われているそうです。また県内の名古屋生花小売商業組合に加盟する140あまりのお店では、フラワーバレンタインのポップを掲げるなどのプロモーション活動を行っているそうです。

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<大村知事からブーケのプレゼント>

# by haru_tsuji | 2025-02-10 06:00 | 緑区 | Comments(0)

 2月2日に開かれた全日本卓球選手権で名古屋市港区出身の安藤みなみ選手(27)が木造勇人選手(25)とコンピを組んだ混合ダブルス決勝で初優勝しました。

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<安藤みなみ選手>

 安藤選手は地元プロ卓球チーム「トップおとめピンポンズ名古屋」のエースで、2019年日本卓球リーグで最高殊勲選手に選ばれるなど、国内外で活躍した実力者ですが、全日本卓球選手権で優勝するのは今回が初めてです。安藤選手は大会前に今シーズン限りで現役を引退することを発表しており、今回の優勝で有終の美を飾ることとなりました。

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 ペアを組んだ木造選手は、現在関西で活動していますが一宮出身で、今回は愛知県勢の優勝ということにもなりました。更にこの大会は25年ぶりの愛知開催で、会場の豊田総合体育館(スカイホール豊田)には大勢の地元応援団が集まり、声援や祝福を送りながらの優勝となりました。

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<木造勇人選手>

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 試合は安藤ペアが第1ゲームを先取しましたが、第2ゲームで逆襲され1対1のタイになりました。以後追いつ追われつの手に汗握る接戦となりましたが、結局3-1で逃げ切り嬉しい初Vとなりました。

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 引退が惜しまれる今回の優勝ですが、安藤選手の出場は3月のTリーグが最後で、パロマ瑞穂アリーナやみよし市の三好公園総合体育館などで試合が行われる予定になっているそうです。


# by haru_tsuji | 2025-02-05 06:00 | その他 | Comments(0)

 イオンモール㈱は大阪・関西万博の PRブロンズ パートナーという協賛会社で、全国のイオンモールで「まなびの大阪・関西万博プロジェクト」を実施しています。イオンモール大高でも現在万博に出展予定の「未来の船 ウィンドハンター」の PRイベントを行っています。

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 「未来の船 ウィンドハンター」は 洋上の風を帆に受けて航行する船ですが、これまでと違うのは風を受けて タービンを回して発電し、海水を電気分解して水素を作りながら走るという点です。温室効果ガスを一切 排出しない究極のゼロエミッション船です。

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<ウインドハンター>

 ウィンドハンターは㈱商船三井が開発していて、現在実験船による検証が進められていて、既に基本的な技術検証は済んでいるそうです。更に実証的な検証を行い 2030年度を目処に、商用線を建造する計画となっているそうです。

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 商用線のウィンドハンターは無人機で、AIを搭載し 自動で風を探して航行する機能があります。全長は210m テニスコート2個分の大きさで、船上には水素を貯蔵するためのタンクが並んでいます。風がなくても貯蔵した水素を使って航行することもできます。

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<ウインドハンター大解剖>

 イオンモール大高では未来の船ウィンドハンターのパネル展示の他、子供たちを対象とした未来の船デザインコンテスト(1月24日~2月16日)、お絵かきワークショップ(2月8日、9日)なども行われます。

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# by haru_tsuji | 2025-01-30 06:00 | 緑区 | Comments(0)

名古屋電灯と福沢桃介

 先月 中部電力のルーツとなる 名古屋電灯株式会社の設立の経緯について紹介しました。今回はその続編です。 福沢桃介は福沢諭吉の娘婿で、日露戦争後の株式相場で財をなし、その後実業家に転身し、紡績 肥料 ビール 鉱山 農場などの事業に参画しました。多くの事業は 短期間で撤退しましたが、本業として 本腰を入れたのが電力事業でした。

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<福沢桃介>

 電力事業はこの当時大きな過渡期を迎えていました。名古屋電灯発足当時は、発電機さえ手に入れば手軽に電力事業が始める事ができる火力発電が主流でしたが、電力事業者が全国に乱立するようになると、安いランニングコストで大規模なエリアへの電力供給が可能な水力発電所の建設が各地で進められるようになりました。名古屋電灯でも長良川水系での水力発電所建設が進められ、1910年長良川発電所が運転を開始し、鶴舞公園で開かれた 第10回関西保険連合共進会でのイルミネーションに早速使われました。

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<第10回関西保険連合共進会でのイルミネーション>

 福沢桃介はまず九州佐賀県の電力会社 広滝水力電気の大株主になったのを皮切りに、豊橋電気に出資して社長に就任。1910年には 名古屋電灯の筆頭株主になり、 業務取締役に選任されました。常務は在任5ヶ月で一旦辞任しましたが、その後経営悪化に伴い、経営手腕を買われ 1913年常務に再登板し、1914年には社長に就任しました。名古屋電灯に入った桃介が主として 手掛けた事業は木曽川の電源開発で、下記のようにたくさんの水力発電所の開発を進めました。

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<福沢桃介が開発にかかわった水力発電所>

 名古屋電灯は1920年以降 周辺事業者との合併を活発化し、1921年 奈良県の関西水力発電所と合併して 関西電力となり、翌年 九州電灯と合併して 中京・関西・九州にまたがる 電力会社東邦電力へと発展しました。また東邦電力となる前の1918年 名古屋電灯は水力発電部門を独立させ、木曽電気製鉄を設立しました。この会社は1921年大同電力へと発展しました。東邦電力と大同電力はそれぞれ日本5大電力の一つとなる程の大きな会社となり、福沢桃介は「電力王」と呼ばれるようになりました。

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 名古屋の東区にある「文化の道二葉館」は、福沢桃介ゆかりの地で、親しくなった女優川上貞奴と一緒に暮らした家です。元々は現在の場所に程近い東二葉町に建てられていましたが、現在の場所に移築・復元されました。和洋折衷の豪華なつくりで、建てられた当時は二葉御殿と呼ばれ、名古屋電灯に関係する要人たちが頻繁に訪れていたようです。

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<二葉館>

※資料写真はでんきの文化館展示資料より


# by haru_tsuji | 2025-01-25 06:00 | 名古屋市内(その他) | Comments(0)